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2010年2月 6日 (土)

感劇話その131 専用の首(かしら)が迫力満点の景清__2月文楽公演第一部

(“感劇”は、感激と観劇を合わせた勝手な造語です。念のため。文楽、歌舞伎、落語、お芝居その他ライブの感想をまとめています。) 

 今月は文楽東京公演の月。今日は第一部を見てきた。最初の演目は、舞踊の要素が強い作品をそろえた『花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)』。四季折々の情景を表現したもので、春は『万才』、夏は『海女』、秋は『関寺小町』、そして冬は『鷺娘』。
 『海女』は、片思いの恋に悩みながら海辺をうろついている海女のところに大きなタコが現われて一緒に踊るという、ユーモアにあふれた作品。人形に比べてタコがかなり、いい意味で脱力系な作り(ゆるキャラ風というか、目などはアニメ風でかわいい雰囲気)なのがおもしろい。文楽では犬とか鳥なんかもそういうゆるい作りだったりするときがけっこうあるのだが、あえてそうしているのだろうか。今回のタコはかなり大きくて、海女だし、一瞬、北斎の浮世絵を連想してしまうが、とにかくキャラ的にかなりほほえましい感じのタコなので、浮世絵のようなエロチックなことになるはずもなく(といっても、時々海女の着物の裾をチラチラめくろうとしたりはしていたけど、その程度で)、終始楽しい雰囲気で終わる。『関寺小町』は年老いた小野小町が若かりし頃をなつかしむ話で、お能やお芝居の『卒塔婆小町』みたいなもの。文雀さんが遣う小野小町は、老いさらばえた我が身を思う小町の哀れさみたいなものがにじみ出ているようだった。全体を通して、呂勢大夫さんの語りが艶があって、とても印象に残った。呂勢大夫さんは昨年の12月の公演の際も、声がよく伸びているなあと思ったのだが。
 二本目は『娘景清八嶋日記(むすめかげきよやしまにっき)』。平家の侍大将、悪七兵衛景清は、源氏が治める世の中を見たくないと、自ら両眼をえぐってしまい、日向の国で乞食となって暮らしている。その景清のもとへ、2歳のときに別れた娘の糸滝がはるばる駿河の国からたずねて来る。糸滝は自分を育ててくれた乳母が亡くなる際、初めて父親のことを聞き、盲目の父に座頭の官位を取らせて一生飢えさせないようにと、我が身を売ることにして、前借りしたお金を景清の元に届けに来たのだった……。最後には、親子の情愛が武士の義に打ち勝つというか、義に凝り固まった男の頑な心を溶かすというか、時代物にしてはほっとできる結末でよかった。
 島に流されてぼろぼろの着物を纏った景清の姿は、同じく流人となった『平家女護島』の俊寛を思わせる。装束の雰囲気も俊寛とよく似ているのだが、首(かしら=人形の頭の部分)は俊寛とぜんぜん違う。景清の首は景清の役専用の“一役首(ひとやくかしら)”だ。文楽の人形の首は、いろんな役に使い回されるものが大半なのだが、景清の両眼はえぐりとられているわけだから、瞼の中は真っ赤な痕があるだけで、他の役ではたぶん使えないのだろう。娘の姿を一目見たいと、景清が思わず左右の瞼を押し開けると、そこに真っ赤な二つの痕が現れるシーンは強烈な印象を残す。娘を突っぱねていた景清が、最後の最後に父親としての感情を爆発させて、糸滝の乗った舟を追いかけようとするところでは思わず涙が出てしまう。

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景清が目を押し開けるシーン(「名作文楽50」より)。

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