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2009年8月22日 (土)

感劇話その108 心の闇を照らし出す牡丹燈籠__舞台『怪談 牡丹燈籠』  

(“感劇”は、感激と観劇を合わせた造語です。念のため) 
 今週、原稿がアップしてから、舞台『牡丹燈籠』を見に行ってきた。圓朝作の落語をもとに、劇作家の大西信行がお芝居用に加筆したという話なので、落語の『牡丹燈籠』とは微妙に違う部分もある。以前、落語で聞いたのも志の輔の高座だけだが、それも第一部は複雑な人物相関図を作ってそれを解説しながらのストーリー説明、そして第二部にクライマックスの部分を落語で、という感じで全段を超特急で2時間半でやるというスタイルだった。なにしろ、圓朝のオリジナルの話は超大作ですべてを話したら15時間もかかるような壮大な内容らしいので、それを2〜3時間のお芝居にするには、当然、いくつかの部分だけをフィーチャーしてやるしかないわけで。この大西版の『牡丹燈籠』も、世間的に一番有名なお露さんと新三郎の話にからめて、伴蔵とお峰、お国と源次郎、という三組の男女の話が描かれている。前半は、新三郎に恋い焦がれて命を落としたお露と乳母のお米が幽霊となって夜な夜な現われ、結局、新三郎をあの世に連れて行ってしまうところまで。休憩を挟んで後半は、新三郎を裏切る形で大金を手にした伴蔵夫婦と、お国と源次郎のその後が描かれる。伴蔵夫婦だけでなくお国と源次郎も罪を犯して江戸を離れているのだが、1年後、当然のように彼らはみな、自分たちが犯した罪の報いを受けることになる。因果応報というか、人の心の闇というか、愚かさというか。これも、先日の『心眼』のように、幽霊よりも人の心がいちばん恐ろしいわ、という、ある意味普遍的なテーマなのかも。また、おなじみの“カラン、コロン”の下駄の音というのは、このお芝居では出てこない。
 伴蔵の段田安則はいつも通りの安定感というか安心感で見ていられるし、お峰役の伊藤蘭もがんばっていた。言葉がものすごく歯切れのいい江戸弁で、そのインパクトがすごくあるなーと感じたが、大西さんの脚本がもともと杉村春子のために書かれたものだということを後でパンフレットを読んで知り、なるほどなあと思った。まさに杉村節という感じで、蘭ちゃんのかわいいイメージに比べると最初はちょっと違和感がある気もしたが、堂々と演じていた。瑛太は“美丈夫”な新三郎のイメージにぴったりで、居てくれてありがとう、という感じ。初めての舞台ということでベテラン勢に囲まれて大変だろうなと、おばちゃん的心丸出しで見ていたが、最後に死ぬ場面は、さすがという感じだった。
 お露さんの柴本幸はとてもきれいなんだけれど、なにしろ背がぐんと高いので、恋い焦がれて命を落とした幽霊のはかなさ、か弱さ?、みたいなものを出すのはかなり辛いのではないだろうかと思ったのがちょっと残念。でも、瑛太と二人で初々しい雰囲気がすごくあったのはよかったと思う。お国の秋山菜津子は、以前『わが魂は輝く水なり』の巴役を見たときのイメージがちょー強烈で、それに比べると今回のお国の悪女ぶりというか魔性ぶり?は、かわいらしくさえ感じられる。源次郎役の千葉哲也はとくに後半、もの悲しい雰囲気が出ていてよかった。それから、乳母のお米役の梅沢昌代さん、去年の『瞼の母』にも出ていたけど、いつみてもうまいなあという感じです。以上、ほんとに勝手に言い放題な観劇メモですが。回り舞台を生かしたセットというか美術は、特に最初の水辺のシーンが流れるようにきれいだった。

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ポスターやパンフレットの写真は、写真家の加藤孝さん。

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