« 3年目の内子座ー6 | トップページ | 会議のうちに8月終わり。 »

2007年8月26日 (日)

感劇話その47 女は強し、男は……

 愛媛から夕方に戻りました。今年の内子座は、時代物の「妹背山婦女庭訓」と世話物の「新版歌祭文」、それぞれ有名な段をピックアップしていたわけだけれど、奇しくもどちらも三角関係に焦点を当てた内容であった。観客にもわかりやすい題材だったのか、客席の反応もよかったし、歓声も多かったように思う。時代考証や人物関係の把握がけっこうややこしい時代物とは違って、ワイドショーを見ているような気分で、若者も、じいちゃんばあちゃんも気軽に単純に楽しめるという感じかな。といっても、どちらも悲劇なんだけど。
 それにしても、「妹背山」のお三輪といい、「新版歌祭文」のおみつといい、女性の意志の強さが目立つ二本立てであった(この感劇話でも前に書いたかと思うけど)。それに比べて三角関係の中心にいる男性たち、「妹背山」の求馬や「新版……」の久松は身勝手というか、とくに久松なんてかなり優柔不断。まあ、文楽の悲恋ものとか心中ものというのは往々にして、ビジュアルはイケメンにもかかわらず性格ははっきりしないとか頼りないという、ココロはぜんぜんイケてない男が出てきて、これがまた何故だかとてもいい女にモテてしまう、というところから話が展開していく作りが多いんだけどね。
 私だったら、最終的に久松と結ばれるお染めさんより、自ら思いを断ち切るおみつのほうがいいな、とか、いやいや、あれは理想で実際にはあそこまではできないよ〜、とか、終わってからも観た人たちがあれこれ話ができたりする。身分的に不遇な状況に置かれていた江戸の女性たちは、芝居小屋の舞台の上で自分の生き方を自分でしっかり選びとろうとするおみつやお三輪に賞賛の拍手をおくっていたのかもしれないな。そして、身分制度はなくなった今の時代にも共感できるものがちゃんとあるわけだから、恋愛や人間関係のなにかしらの普遍的なテーマがそこにはしっかり描かれているということなんだろうなあ。だからこそ名作として何百年も愛されているわけで。いつの時代もやっぱり女は強しで、男は……?

« 3年目の内子座ー6 | トップページ | 会議のうちに8月終わり。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 感劇話その47 女は強し、男は……:

« 3年目の内子座ー6 | トップページ | 会議のうちに8月終わり。 »