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2007年2月17日 (土)

感劇話その31 玉手御前の恋は真か偽りか

 週末にバタバタと、文楽公演二部の「摂州合邦辻」を観てきた。今回上演されたのは、クライマックス部分の「万代池の段」と「合邦庵室の段」。この話の内容を超カンタンに説明すると、ある年老いた大名の後妻となった若い女性(=玉手御前)が、先妻の息子(=自分と同年代である俊徳丸)に恋をしかけてしまう、というもので、しかしじつは玉手御前が俊徳丸を好きになってしまった本当の理由は、御家騒動で殺されそうになっている俊徳丸の命を助けんがためのお芝居で、話の最後にその真実が明らかにされる……というもの。息子・俊徳丸に迫る玉手御前の恋狂いの様子はなかなかに迫力もので、遣っているのは人間国宝の吉田文雀さんなんだけど、こんなに激しく情念たっぷりに女性(の人形)を遣う文雀さんを初めて観たので感慨深かった。いつもはたいてい、気品と貫禄あふれる武家の妻、みたいな役所しか拝見していなかったので。
 玉手の父親である合邦道心は、娘の不始末というか醜態というか奇行に怒り心頭になっていて、今頃はきっとお城で成敗されているに違いないが、もしも目の前に現れたら我が娘でもこの手で成敗してやる、と、息巻いているのだが、それに対して、いくら不始末とはいえ娘をかばいたいと思う母親のほうの言葉がおもしろい。「女子は誰れしもある習ひ、二十そこらの色盛り、年寄った佐衛門様より、美しいお若衆様なら、惚れいでなんとするものぞ……。」と娘を哀れむ。つまり、二十歳そこらの女盛りなら、夫とはいえ年老いた殿様よりも、若くて美しい息子に惚れるのもわからなくはない。むしろ、惚れないでどうする、みたいな感じなのだ。女性心理が出てますねえ。
 結局、俊徳丸の命を救いつつ御家騒動を首尾よくおさめるために、玉手御前は自らの命を犠牲にするんだけど、玉手の俊徳丸への恋は、本当にお芝居なのか、それとも本当は真実だったのか、そのあたりは未だに役者や研究者の間でも解釈がわかれているところらしいのだが、うーーん、どうなんだろうね。考えてみるほどにおもしろい。ところで、蜷川幸雄氏の有名な作品「身毒丸」は、一部この「摂州合邦辻」をもとにしているという話もあるけど、残念ながら見逃している。いまさらながら、15歳の藤原達也の身毒丸を観られなかったのは残念だ……。
 この冬にしてはやや冷えてきたこの週末、今日の夕飯はコトコト煮込むおでんにした。大根は先週に引き続きまた米の研ぎ汁で炊いたせいか、柔らかく煮えて、けっこうイケてました。こんにゃくはもう一息、だったが……。

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プログラムより。死を覚悟して鬼気迫る玉手御前の様子。

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