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2007年2月 3日 (土)

感劇話その29 野田地図「ロープ」の衝撃

 先週、籠り生活が佳境に入る前に、楽しみにしていた野田地図の「ロープ」を観てきた。野田地図のお芝居は、一昨年の「走れメルス」以来。会場に入ると、開演前からずっと、私の好きなギルバート・オサリバンの曲が流れていた。『クレア』とか『ハピネス』とか……そして、『アローン・アゲイン』が流れてきてボリュームが大きくなったと思ったところで、芝居が始まった。この曲の“また一人になってしまった……”、みたいな歌詞の意味と、引き蘢りになってしまったノブナガという名のプロレスラーの心境と、なにかリンクさせているのかなあ……とか勝手な深読みしたりしながら観始めた。
 ノブナガに藤原竜也、タマシイ(未来からやってきて、プロレスのリングの下に住み着いているコロボックル)に宮沢りえ、ほか、渡辺えり子、橋本じゅん、宇梶剛士など豪華なキャスト。もちろん、野田秀樹もケーブルテレビのディレクターで恐妻家、という役で出ていて、恐い妻・渡辺えり子とのノミの夫婦ぶりは単純に笑えたけど。それよりもなによりも、野田地図の舞台は数回しか観ていないけど、あんなにメッセージ性の強い作品は初めてで、それがけっこう衝撃だった、というのが率直な感想だった。
 物語は、ロープに囲まれたプロレスのリングの内と外で繰り広げられる人間の暴力というものについて描かれている。プロレスの実況をするタマシイは、いつしかベトナム戦争の時代に行って戦時下の実況を始める。美しい宮沢りえの口から淡々とよどみなく実況される殺戮のシーンは悲惨さと残虐さを増して耳に飛び込んでくる。タマシイの生まれた未来、というのが未来ではなくて、じつはベトナムの「ミライ」という村だった、というのも衝撃だったけど。
 藤原竜也と宮沢りえのスリムなみずみずしい美しさが、暴力とは対極のところにあるもののようで、その二人が希望をつなぐ象徴的な役割につながっている。ロープはプロレスのリングを囲っているもの、だけでなく、私たちの住む人間社会を表しているもののようにも思える。ずっしり重くて、なかなか見応えがありました。そしてエンディングには、再び「アローン・アゲイン」が流れた。そういえば、この曲が出たのも(72年)ベトナム戦争の時代だったなとふと思った。
 この日はライター仲間のMYちゃんと一緒に観劇。MYちゃんは昼間にも青い鳥の舞台を観たらしく、芝居のハシゴだったそうで、それもすごそうで楽しそう。劇場を出ると、雨だった。シアターコクーンから徒歩数分の「こうぼう」でご飯を食べることにして、雨に打たれながら歩く道々、「マッキー(私のことです)も、昔、コロボックルとかいわれてた?」とMYちゃんに聞かれた。MYちゃんも背が低いのだ。小学生の頃(やっぱりベトナム戦争の頃だ)に、“コロボックル〜”とかいわれてからかわれたことがあるらしい。「いや、コロボックルはないけど、ピグモンはあるよ(笑)」と私。同じちびでもそれぞれいろんなからかい方をされているようで。「こうぼう」で、魚や牛すじ豆腐に舌鼓。鯵のたたきと大きなしめ鯖、うまかった。芝居と仕事の話で焼酎お湯割を2、3杯飲んで正しく解散。

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金子國義さんのイラストもインパクトありましたな。

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