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2006年1月31日 (火)

今年最初の同窓会

 12月末に山形で結婚式を挙げた高校時代の同級生・まっこさん(男性。東京在住)が、いきなり2月1日付けで山形に転勤となり、1ヶ月前は結婚披露宴で集まった同級生10数人が、急きょ送別会としてゆうべまた集まった。なんともあわただしい展開。転勤が決まったご本人は、年末に奥さんの荷物を山形から東京に移して、年明けに新婚旅行に行って、戻ってきてやっと落ち着いたばっかりだっただろうに、また山形へお引っ越しというわけだから......さぞや気ぜわしかったことだろう。

 とはいえ、山形には奥さんの実家もあるし、もともとは山形支店勤務時代に知り合って結婚した二人だから、山形にはやっぱりふか〜いご縁があったということなんだろうな......と、一応ナットクした気分になって淋しい気持ちを紛らわしている。まっ、でもまたみんなで花笠踊りツアーや芋煮ツアーを組んで山形に修学旅行すればいっか。

 てなわけで、ゆうべは月曜日だというのに集まりもよく、いつものようにワイワイやって楽しく解散した。今年はこの同窓会の飲み会、何回くらいやれるんだろうなあ。この同窓会はもともとは東京にいる数人でやっていたものらしいけど、30代の半ば頃から私も含めてなんとなく今の10数人で年に数回集まるようになって、今に至っている。

 この10年のうちにも何人かが引っ越したり、田舎に戻ったりしたけど、残ったメンツでまだ続いている。いつも集まるメンバーの中でカップルもできたりしたし、なんだかんだとみんな変わらず仲がいい。仕事のグチとか悩みを打ち明けることはあまりしないけど、私にとっては心の拠り所だし、大切な場所だ。これから先、またそれぞれの人生が動いて微妙に形は変わっていくのかもしれないけれど、50になっても60になっても、なんだかんだと続いていけばいいなあと、帰りの電車の中で、いつもの下校グループのメンバーである公正取引委員会S久センセイと、トリニダード・トバゴのシャーマンになるマジシャンこーじ君の間に座って改めて思った私でありました(最後わかり辛い文章ですみません)。

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2006年1月30日 (月)

忍び寄るウィルス......

 ゆうべから耳の下の上あごと下あごの調節部分あたりがじんわり痛い......大口開けた記憶はないんだけど、はずれ気味になっているんだろうか。なわけないか、なら、喉に近い部分の関節痛で、風邪の前兆か? と考え始めたら、ここ数日、風邪を引く原因になるようなことをしていなかったかどうかと、自分の行動をしつこくあれこれ思い出している。

 先週以来、友人の子供がインフルエンザにかかったのを皮切りに、知り合い(オトナも子供も)が続々とインフルエンザとか風邪でダウンしている。日頃どんなに忙しくてもぜったいにダウンしないハルクのような肉体(見かけは違うけど)の持ち主だと思っていた編集長O氏も熱を出して寝込んだらしいし......。じわじわと周りが風邪のウィルスに浸食されているということだ。

 今年は予防接種もしていないので、とにかくいつにも増して手洗いとうがい、マスクを徹底しているつもりだ。電車での移動や劇場など人の多い場所へ行くときにはマスクをつけ、外から戻ったら必ず手洗いとうがい。家だけでなく、レストランやカフェに行ったときもまずは洗面所で手を洗う。家の中もなるべく乾燥しないように加湿器とか、洗濯物の部屋干しをしたり(でも、やりすぎて朝の結露がすごかったりもするんだけど)。

 てな感じで、やれることはやっているわけだが、それでも取材や打ち合わせのときはマスクをはずすし(現場に入る直前までつけてるけど)、完璧に防御できているかといえば、そうではない。だから、もしかしたらもう既にウィルスが身体に入っていて、いまむくむくと噴火のときをねらっている段階なのかもしれない。それならそれでもう仕方ないけど、今日もとにかくまめに手洗いとうがい。しかしこのあごの継ぎ目の痛みはなんやろか。ちょっと気になってます。

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2006年1月29日 (日)

こんな小春日和の穏やかな日は

 洗濯物を干すのが気持ちよかったな。朝のうちに洗濯機2回まわしたとです。

 条例違反の偽装工事でいきなりニュースに登場したビジネスホテルチェーンの東横インは全国各所にあって、私も仕事で地方の何カ所かに泊まったことがある。たいてい出版社や制作会社がとってくれるというケースで、自分で泊まるならたぶん選ばないなと思うホテルだけど、安いし駅から近いし、朝は無料でおにぎりとか食べられるし、狭い部屋にヘアドライヤーとかLANケーブルの差し込み口なんかがコンパクトに機能的にセットされていてインターネットも無料だから、出張時のホテルとして何人ものスタッフが使う会社や事務所側の立場なら便利でお得で、使えると思うだろうなというホテルだ。でも、あんな社長がやっているホテルだったのかと思うと、ますます自分では泊まりたくないなと思った。

 出張にもいろんなタイプがあるとは思うけど、私のような雑誌の取材みたいな場合だと、たいてい、ホテルの部屋なんて寝るだけのものだから、狭くてもべつにいいと思う。でも、夜に一人になったときにどれだけくつろぐことができて、次の日もまたがんばろうと思えるようなリフレッシュができるか、ということも、仕事のときに泊まるホテルの重要な要素だと思うことも事実。そういう観点からいくと、少なくとも私がこれまでに泊まった数カ所の東横インは、とてもじゃないけどくつろげるという雰囲気ではなくて、なんだか仕事しろ仕事しろ、といわれているような気がするスペースだったなと思う。

 べつに部屋がゆったり広々としてゴージャスである必要はぜんぜんないんだけれど、なーんか、あまりにも心のゆとりがもてないというか......まあ、こんなこといってる私が甘ちゃんで、ビジネスホテルなんだから出張族にはこういうほうがいいんだ、っていわれるのかもしれないんだけど。たしかにお金がかからないのは嬉しいことだよ。でも、朝、あの無料のおにぎりを一人でもくもくと食べて、すぐにアタッシュケースを下げて仕事に出て行く出張族の人たちの姿を見るたびに、なんだかなーと阿藤快みたいな気持ちになる私なんでありました。だから私はあそこに泊まったときは、少し早めに出て喫茶店でモーニングセットを食べるか、コンビニで何か買ってきて部屋で食べるか、朝は食べないでそのまま仕事に行くか、そのどれかだったな。

 

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2006年1月28日 (土)

北国の旅の空

 分厚い雲の下は吹雪、だった。能代取材から戻ってきました。

 26日は大館能代空港(最近は正式にはあきた北空港というらしい)が雪のため閉鎖になり大館能代便は欠航、すぐに秋田空港行きにチェンジして飛び立ったものの現地はまだ吹雪いていて、着陸できない場合は羽田に引き返すという条件だった。秋田空港に近づくと、キャプテンのアナウンスで「いま、空港で滑走路の除雪作業をしているので、終わるまで上空を旋回しながら待機します」とのことだった。数分後にいよいよ着陸態勢。機内の画面に映し出された秋田空港は滑走路だけがくっきりと浮き上がり、周りは真っ白だった。というわけで午後5時過ぎ、無事に秋田に上陸。

 能代で取材する予定だった人が前日に骨折してしまったとかで(そんなこともあるんですねー)、急きょその人の取材場所が秋田に変更となり、秋田空港からバスで秋田市内に移動した。夜は取材先の会社の合同新年会なるものにいきなり合流させられて、東京から取材スタッフが来てま〜す! と、いきなり壇上に上がらされて一言挨拶をさせられ、なんでこうなるのか、私はなんでそこにいるのか、頭の中が???だらけのまま笑いながらビールを飲んだ。9時過ぎのお開きの後、「飲み直そっか?」ということになり(取材スタッフは編集2人、カメラマンと私。編集の女性が30代であとは40代なのに私以外はみんな元気)、ホテルの近くの居酒屋で能代の地酒を少しいただく(名前忘れちゃった、すみません)。でもこの店のしまあじとたこの刺身は新鮮でおいしかった。結局ホテルに戻ったのは12時前。ゆっくりお風呂に入って、2時前に就寝。

 27日は朝8時半から秋田市内で取材。ギブスに松葉杖姿で恐縮しながら現れた取材対象者のKさん(雪で転んだのだそうで、来週早々に手術をするらしい)にインタビューし、終了後すぐに残りの取材のため能代へ移動することになった。当初電車を使う予定だったが、”数日前にも同じ路線で雪と強風のために電車が立ち往生して数時間乗客が車内に缶詰になったことがあるので、バスの方が確実”、といわれ、急遽、高速バスに変更。こうして11時前には能代へ着いた。秋田市内はたまった積雪が1mくらいだったが能代では2mくらい。そして風が超強く、取材場所がまた強風の通り道にあったので、秋田市内よりもさすがにさぶかった。晴れたと思ったらすぐに吹雪いてまた晴れて、と天気はめまぐるしく変わり、それでも先週よりはちょっと気温が高くなった日だったようで、最高がマイナス1度くらい。強風が吹くと体感温度はさらに2度くらい下がっていたかも、という感じ。

 4時過ぎに取材終わり、タクシーで大館能代空港へ移動し、6時過ぎの便で東京へ戻る。9時前に帰宅。想定外の展開続出だった2日間を振り返りながら、合同新年会の参加賞としていただいたお土産の極上たらこ(うまし。私はめんたいこにはウルサいほうだけど、たらこも極上はやっぱ違うね。うまかった)やチーズをつまみながらのんびりワインを飲んだ。

 朝、秋田から能代へ移動する高速道路の両脇の山は真っ白で、ところどころに鹿かな? と思うような足跡がたくさん着いていたのを発見したときは何故か嬉しい気分になった。狸にしては大きい足跡だったので、鹿じゃないかと思ったんだけど......見ているうちにアラスカの道路の脇でみかけたムースを思い出した。あの能代へ向かう高速バスの旅(約1時間とちょっと)は快適だったな。天気もあの時間はよかったし。

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大館能代空港。ぼけぼけですみません。むこうに見える山は空港内の雪を集めたものらしいです。

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2006年1月26日 (木)

あー、明日の今頃は......

 秋田県能代市にいます。飛行機がちゃんと飛べば、の話だけど。先週予定していた能代取材が豪雪のために延期になり、26日からに変わったんだけど。1週間延ばしたからって、雪の量は減っているとは思えないんだけど。でも、前日入りして取材は27日の予定なので、なんとか取材場所には辿り着けるんだろうな。大館能代空港(もし行けたら初めて)に行くことになっているが、羽田に集合して飛行機が欠航だったら大館能代より大きい秋田空港に変更するらしい。秋田空港から能代までは、秋田市に行く距離の3倍以上?あるみたいだけど、まあたぶん辿り着けるんだろうな。着いちゃえば取材は主に室内だから、去年行ったマイナス30度のアラスカと違って、録音用テープレコーダーが作動しない、なんてことはないから大丈夫なんだろうな。

 ネットで能代の天気を見てみたら、26日は最高が0〜マイナス1度。27日は最低マイナス2度で最高1度、と出ていた。これなら数日前の東京と大して変わらないのかもな。でも雪の量はじぇんじぇん違うと思うけど。ま、いっか。ちゃんと26日に能代に着ければ、ホテルの近くには温泉もあるみたいだから、それを楽しみに。年末に山形の上山温泉に行って以来、久しぶりに温泉に目覚めている。上山温泉のお湯もすごく身体によく響いた感じで、快調だった。年越しの別府の温泉もすごくリフレッシュになったし。温泉がしみいる歳になったのかなあ。

 担当者が「ホッカイロとかいっぱい持ってきた方がいいですよ」といっていたけど、私は最近気に入っている蒸気温熱パワーのメグリズムを持って行くのだ。これは、小学校と高校の同級生のCちゃんが勤める花王の新製品で、蒸気が出る温熱シート。肩や腰に貼ると蒸しタオルのような心地よさなのだ。その威力はすでに年末の山形旅行で検証済み。でも、靴下に貼るタイプはまだないので、足用は今までのシートを買うしかないけど。ていうか、本来カイロではなくて、湿布薬みたいな目的なんだから足先用はないわけだ。でもこのメグリズム、じんわりあたたまってホントに気持ちいいから、一度お試しあれ(花王の回し者ではありませんが。しっかし、ババくさい話ですみません)。

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2006年1月24日 (火)

煮沸人間

 ホリエモンが地検から小菅に送られていた頃、私は友人数人と教授を囲んでキラー通りの中華レストランで舌鼓を打っていた。窓の向こう側に見える巨大な輝く貯水タンクのような六本木ヒルズ周辺が大騒ぎになっていることなどつゆ知らず、フカヒレ煮込みや火鍋をハフハフしながら食べていた。慰労会だったのでちょい贅沢だったけど、ホリエモンは毎晩のようにそういういいものを食べていたんだろうなあ。彼のブログ「社長日記」には食べ物屋さんの情報もけっこう出ていたので、ときどき資料として見させてもらっていたけど(肉がお好きなようですが)、もうあのブログもなくなるんだろう。そういえば、今日、打ち合わせで会ったノンフィクション作家が、「ホリエモンは東京拘置所でスーフリの和田容疑者の独房の隣の独房に入れられている」といっていたけど、ほんとかな。

 それはそうと、昨日のお店「シャンウェイ」はちょーうまかった。フカヒレのソースは上海ガニ、百合の茎やマコモダケが入った野菜の塩炒めの塩加減が絶妙。そして極めつけは火鍋。火鍋は中華風しゃぶしゃぶみたいなもので、たいていスープが赤い辛いスープと透明か白いあっさり味のスープの2種類、太極マークのように鍋に入っていることが多い。赤いほうのスープは唐辛子を細かく砕くかペースト状にしている感じが多いのだが、シャンウェイのはこんな感じで、


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唐辛子が丸のままたくさん入っている。これは朝天棘椒という種類だそうで、暴君ハバネロみたいな感じ。見た目だけだと姫リンゴみたいにも見えるくらい丸っこくてかわいい。先の方だけちょっとかじってみたけど、ちょー激辛というほどでもなかった。こんな丸ごとの唐辛子が入った火鍋は私は初めてだったけど、上海ではこういうスタイルらしい。半透明の方にはアイスバインやよく煮た鶏肉も入っていて、ここにニラとか白菜とかホタテとかをくぐらせて食べる。2種類のスープを混ぜるとよりおいしかった。

 もう一つ珍しかったのは蓮の葉。これが多肉植物の葉みたいなミニアロエみたいな感じで、生でかじってもおいしかった。中もアロエの中身と似ていて、苦みやえぐみはぜんぜんなし。火を通すとちょっとほくっとする。昨日のような氷点下の日にはこんな火鍋がかーなりぴったりであった。

 そういえば、店に置いていたこの上海風火鍋のチラシに”煮沸人間”という文字があり、これはどういう意味なのか、身体の中からホットになるとかそういう意味なのか、結局誰もわからず、お店の人にも聞きそびれたので、本日、中国語に詳しい友達の姫嬢に聞いてみたところ、「なんだか中国語っぽくないんだけど、煮えたぎるほどホットということなのかね?」という返事がきた。やっぱり当て字かシャレのようなものなんだろうか。でも何故か意味が通じるからおかしい。

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2006年1月22日 (日)

雪の中を

 昨日の東京神奈川の雪は五年ぶりの大雪だったらしい。天気予報でも午後からは雪といっていたし、おととい(というか昨日)の午前2時過ぎに帰宅してタクシーから降りたとき、みぞれのような細かい雪が落ち始めていたので、積もるかなーと思っていたら、目覚めて窓の外はやはり真っ白だった。積雪量は10センチ〜15センチだろうか。それで大雪なんていったら、夫の実家の東北の人たちには申し訳ないくらいの量、にもかかわらず飛行機が欠航したり電車のダイヤが乱れたりして、本当に首都圏は雪に弱いのだなあと情けない気持ちになる。

 ラテン系九州人のこの私も、結婚してからたびたび夫の実家の秋田に行くようになって(それでも夫のところは豪雪地帯でもなんでもないが)以来、積雪50センチくらいではなんとも思わなくなった。それどころか一昨年から2年続けて真冬の旭川に行ったり、去年の2月にはアラスカにも行ってきたりしたおかげか、たいがいの寒さや雪の量ではそんなに驚かなくなった気がする。といっても、寒いのは相変わらず苦手だけど。

 旭川ではマイナス15度くらい、アラスカではマイナス30度の世界も体験した。旭川の雪はすごくサラサラだったのが印象的だった。アラスカ・フェアバンクスは雪というよりもう氷の世界、冷凍庫の中にいるような感じで凍てついていた。フェアバンクスの街を夜歩いたときは、映画『ナイト・オン・ザ・プラネット』の深夜のヘルシンキのシーンを思い出した。そんなわけだから、昨日の東京の大雪もいまの私にとっては大した感慨もなく、むしろこの”大雪”だからきっと出歩いている人は少ないだろうと見込んで夕方から自由が丘の居酒屋「金田」へ出発した。

 金田は創業70年。大衆居酒屋だけど、昔から酒飲みとして筋のいいお客さんが集まる店ということで、別名「金田酒学校」とも呼ばれている。お酒の種類は少ないが常時80種類を超える料理(定番もいっぱいあるが、その日に仕入れた素材で毎日変わる)はどれも丁寧な作りでほんとうにおいしく、早い時間から少しずつ、一皿ずつのんびり味わいながらゆったり気分で飲めるお店だ。お値段もリーズナブル。夫と私は土曜日にはちょくちょく行くのだが、なにしろ開店時間とされている5時頃に行ってもすでにお客さんがカウンターにごっそり、5時半ともなればもう1階のカウンターは満席で、2階3階のお座敷に回されてしまう。この店ではやっぱりカウンターがより心地いいのでなるべく早い時間に行くようにしているのだが、ちょっとタイミングをのがすと、あえなく2階になったりする(2階でももちろんおいしさはかわらないんだけど)。だから、こんな雪の日こそ客足は遅いのではと思い、出動したというわけ。

 東京の雪は水分が多くてびちゃびちゃ。積雪数センチなのにシャーベット状になっているから滑りやすくて不愉快だった。仕事が終わった夫と5時半に自由が丘の改札で待ち合わせて金田の扉を開けると、なんともう既に1階は9割方いっぱい。かろうじて4席くらい開いていてカウンター席にありつけたのだった。やはりというか、みんな考えることは同じなのかもしれない。あぶないところだった。昨日はふぐやすっぽんが出ていた。フグ皮のポン酢(歯ごたえよし)や、出始めだというトリガイ(大きくてむちむち!)、アサツキの酢味噌、焼き葱(火通りが絶妙)、鰆の西京焼などを堪能。いつものウニの煮こごりや、銀杏の包み揚げ(カレー風味)に、シメは粕汁であったまり、ほろよい気分になってもまだ8時前だった。シアワセな週末。

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これは今月のある日の料理。ふぐの唐揚げ、田セリのおひたし、粒そばとろろ

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2006年1月20日 (金)

不思議な兄弟

 東京ビッグサイトでインターナショナル・ファッション・フェアなるものをやっていて、沖縄のヨーカン(紅型染めを中心にしたオリジナルデザインの服を作っているブランドです)も今回また出展していたので、のぞいてきた。一応、報道のパスカードはもらっているので(カードがない人は入れないのです)、海外からの出展などひととおり観て回ったが(ハワイのブランド、POLYASCKO2とかはこれから出てくるかも。双子のイケメン兄弟がデザイナーで、イタリアっぽいメンズのシャツとかおしゃれ)、メインの目的はヨーカンの陣中見舞い。

 ヨーカンの洋さんとカンナさんのご夫婦とは10月に沖縄で会って以来だった。前回、やはりビッグサイトで開催された夏のファッション・フェアのときも1日昼ご飯を食べる暇もなくずっと立ちっ放しだったようなので、今回も差し入れを持参。前は3人体制だったが、今回はさらに一人、染め担当の若手スタッフも連れてきていて、ひっきりなしにやってくるバイヤーに対して4人総出でデザインや染めの説明をしていた。この春夏のデザインはさらに新しい染めのパターンが増えてまたカッコいい。全国から来るバイヤーの手応えも確かにあったようで、ヨーカンが全国区になる日も近いかもしれない。それはうれしい反面、個人的にはちょっと淋しい気もするかも、なーんて。

 それにしても、連日の超さぶさのうえに有明は海からの強風でまじで寒かった。よりにもよって、沖縄から東京に来るときにこんなに極寒になるなんて、と、ヨーカンのみんなは面食らっていた。そうだよねー、だいいち、ダウンとか分厚い防寒着なんて沖縄じゃ必要ないし。いまだって24度くらいあるらしいんだから。夜は夫も呼んで、ヨーカンのスタッフや仕事仲間と飲みに行った。ヨーカンの人たちとは夏に仕事で知り合ったのが最初だったが、その後、秋に再会したときに、うちの夫とヨーカンの洋さんがまるで兄弟のように(?)仲良しになってしまった。お互いに口を揃えて「前世に会っているような気がする」とかいっているのだ。かたや沖縄人、かたや東北人だが、たしかに二人とも顔が濃くて似たタイプではある。夫はどちらかというとクールなほうで日頃そんなに熱い感じのことをいう人ではないので、私的にはその展開にちょっとオドロキを隠せないこともあるのだが、並んで飲んでいる二人を見て「たしかに似てるかも、兄弟みたい」とかいう人もいたりするくらいだ。

 夫は去年の春に沖縄初体験をして以来、急激に沖縄にハマっていて、首里城には遠い昔にいたことがあるような気がする......とか、不思議なことを口走ることもあるくらいだから、もしかしたら遥か昔、城内で洋さんと会っていたのかも。その場合、洋さんは王族の人で、うちの夫はなんかの職人とかだったんだろうねえ、とか私たちは言っているのだが。でもある意味、いくつになってもこんな熱い出会いがあるというのは嬉しいことだよねえ、と、不思議な兄弟を見ながらカンナさんと私は言っている。

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2006年1月19日 (木)

風邪の日に、てのひら童話

 年明け入稿予定の原稿を年内に出したのと、今週の能代取材が豪雪で延期になったおかげで、先週今週はけっこう暇な私。おかげでお正月に引き続きごろ寝や読書三昧の毎日をむさぼっている。するとやっぱりというか、風邪ひいてしまった。昔っからそう。仕事が一段落して暇になるとすぐに風邪をひく。今回はインフルエンザも流行っているので、念には念を入れて(っつっても、帰宅直後のうがいと手洗いの徹底だけど)予防していたつもり、だったのに。調子にのって天気がいいからと北風の中で洗濯物干したり、窓がんがんに開け放して掃除機かけたりしたせいだろうか。気がついたら急に鼻水くしゃみと寒気に襲われ、頭がぼおっと。結局昨夜の約束をキャンセルし、あったかくして寝ていた。まあでも早めに対処して汗をかいたおかげで、翌朝にはフツーに戻っていたけど。

 そんなわけで、一昨日は養生しながら半日布団の中で本を数冊読んだ。そのうちの一つが、ちょっと前に買っておいたおーなり由子さんの『てのひら童話』だ。おーなり由子さんこのと知ったのはじつはけっこう最近で、朝日新聞の北村薫さんの連載小説の挿絵だった。そこで出てくる猫のイラストがとても印象的で、これは猫好きな人に違いない、と勝手に思ったのだが、その後、12月からNHKのみんなのうたで『クロ』という猫の歌の動画も描いていらっしゃるのを発見。この猫=クロの絵がまたかわいくてかわいくて(歌そのものも、あったかくてしんみりとしてヨイのですが)、ますます興味が深まった。そこで年末に書店に行ったとき、ちょうと平積みになっている『てのひら童話』という絵物語集をみつけて買ってきたのだった。

 『てのひら童話』は十数年前に描かれた絵物語を20数話集めたもので、いまよく目にするおーなりさんの絵とは若干タッチが違う感じもしたけれど、キャラクターのひょうひょうとした愛くるしさ(けしてファンシーな感じじゃないかわいさ)やなつかしい雰囲気は変わらず。どれもほのぼのしてちょっと泣きたくなる詩のような話で、風邪の熱がじんわりと下がってくるのと引き換えに、ほっこりと心があったまってくるようだった。”ばあさんがっぱ”が出てくる「冬のお客」とか、特によかとです。”手のひらにのるくらいの小さくて幸福な絵物語集”というキャッチフレーズそのものの1冊。なんとなく調子悪いときとか、ダウナーモードのときに読むと、やさしい気持ちを思い出させてくれるかも。おーなりさんは最近の大人向け絵本ブームの牽引者的存在といわれているらしいが、彼女のほかの本も、ちょっとしたプレゼントにもいいかも。

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表紙はこんなです。

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2006年1月17日 (火)

デコトラと江戸筆

 先日、BS(民放)で書家の武田双雲さんのドキュメンタリーをやっていて、江戸筆職人の亀井さんも登場していた。亀井さんはちょうど今月号の「和楽」で取材させていただいた方だ。双雲さんのほうも数ヶ月前に同じ対談連載企画に登場していただいている。もともと亀井さんを取材したのは、このときの双雲さんの取材がきっかけだった。双雲さんから、彼の筆を作っている江戸筆職人の亀井さんというすごい人がいるという話を聞き、それでぜひその人にも取材したいということになったのだった。この対談連載は2年間続いているのだが、結果的に取材対象者が新たな取材対象者を紹介してくれることになったのは、このケースが初めてだった。

 亀井さんは双雲さんだけでなく、日本を代表する名だたる書家たちの筆を作っている名人。筆の材料になる動物の毛を、自分の目と手触りだけを便りに丁寧に選り分けていく。耳元で毛を揉んでみて、そのキューティクルの状態を見極める。もう超人技である。そんな亀井さんが江戸筆の道に入る前にやっていたのが、デコトラの職人だった。そう、電飾や派手なペイントでトラックをデコレートするデコトラ職人。それもなんと、あの映画『トラック野郎』の文太のトラックのデコレーションを手がけていたのだそうだ。これはオドロキだった。全盛期はものすごい忙しさだったそうだが、腰を痛めてしまい、それでその仕事は引退。その後、筆職人のお父様のもとに戻られて、今に至っている。

 ギンギンぎらぎらなデコトラと江戸筆は一見、なんの関わりもないように思える。だが、亀井さんがすごいのは、デコトラ職人時代に培った板金などの技術をしっかり江戸筆作りにも生かし、より作業がしやすくなるオリジナルの道具をいろいろ作ったりしていることだ。たとえばある工程では、昔ながらのやり方だと1日やれば歯が浮いてきてしまうような過酷な作業だったりする(歯を食いしばって糸を引き締めたりするので)のだが、歯を使わなくてもいい道具を考えだして自分で作り、いまはそれを使いまくっている。江戸の伝統をしっかり守るところは守りながらも、コンピュータを導入したり、新しい道具を開発したりして、合理化したり、今の時代に合わせていくことにも心を砕いている。筆職人として立派な仕事ができているのは天性の手先の器用さも大きいと思うけれど、その考え方の柔軟さがすばらしいと思った。それがあるからこそ、今の時代にもちゃんと技術が残り、次に伝えていくことができるのだろう。

 亀井さん流にいえば、一度は家の仕事を否定して外に出てまったく別の世界に身を置いていたけれど、その時代に学んだこともいまの筆作りにしっかり生きているというわけだ。人生、無駄なことはなにもないってことなんだね。

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2006年1月16日 (月)

ダーリンは東北人その2 「がっこけ」

 せっかく始めたので今日も東北というか秋田の話を。私は夫と知り合うまでは秋田県というところに行ったことがなかった。秋田に行くようになって気づいたことは、漬け物の種類の多さだ。それも各家々のお母さんが手作りでちゃんと漬けている。長い冬の間に不足しがちになる野菜を補う意味や、保存食とするために、昔から漬け物が盛んに作られていて、夫の実家にも裏口の方に漬け物の桶がたくさん並んでいる。だから、毎日食卓にも複数の漬け物が並ぶ。大分の私の実家では、食事のときの漬け物は、出ても1種類だった。しかもバリエーションは、高菜漬けか白菜漬けかたくあん、くらい(その中で手作りは白菜漬けのみ。それも毎年ではない)。それが秋田の家では、蕪、茄子、小茄子、白菜、たくあん、なた漬け(鉈の刃で切ったように荒く切った大根を、塩と麹で漬けたもの)などずらり。全部自家製だ。

 肉や魚のおかずがあっても、漬け物も何種類も並ぶ。最初はちょっと不思議な気がしたけれど、徐々にこれはサラダのような感覚なのかもなと思うようになった。それに、よく東北の味付けは塩分が多くてしょっぱいとわれるが、義母のは塩分控えめで近所でもおいしいと評判なので、私もバリバリ食べられる。特に蕪なんて、色もきれいだし、しゃきしゃきのバリバリで新鮮だ。

 そんな漬け物大国の漬け物名人の家で育ったせいか、夫は食事のときに最初に漬け物に箸を延ばすことが多い。こっちで二人のときも、毎晩ではないものの夫が漬け物好きだからと思って漬け物を食卓に出しておくと、まず箸がそこに。最初の頃はこれにけっこうムッとした。私にとっては漬け物は副菜の副菜という感覚があるので、最初に食べられてしまうと、それは私の作ったおかずがまずそうだということなんかい? と、思わず問いつめたくなったものだ。リリー・フランキー(・ゴーズ・トゥ・ハリウッド)の『東京タワー』にもこんな話が出てくる。よその家で夕飯をごちそうになったあとで、あんなに早く漬け物に手をつけたらいかんとオカンにいわれたので、なんでかと聞くと、「早いうちから漬け物に手を出したら他に食べるおかずがありませんて言いよるみたいやろが、失礼なんよ、それは」といわれたと......。リリーさんは九州福岡なので、それは九州人にとってはけっこう共通の認識だったのではなかろうかと私は思ったのだけど。でも、それはそれ。夫はおいしい漬け物がいっぱいあるところで育ったわけだし、習慣というものは簡単に否定できるものでもないし、なにより、他意はないわけだし、サラダ感覚ということなんだったら最初につまんでもおかしくないしなあと、徐々に思うようになって、今ではたまにしかムカつかなくなりました。それも心の中だけで。

 ついでにいうと、秋食弁で漬け物のことは「がっこ」という。学校ではなく、「がっこ」。秋田の名物に「いぶりがっこ」というのがあるが、これはたくあんを薫製にしたもので、”燻した漬け物”ということだ。秋田弁は単語の長さが短い傾向があって(寒いからなるたけ口を長く開かないようにするためらしいが)、「け」というのは、「食べろ」、とか「食べてみて」という意味。初めて義母に「ヨーコさん、がっこけ」といわれたときは、???ワケわかんなかったんだけど、「この漬け物、ちょっと食べてみて」という意味だった。

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2006年1月15日 (日)

ダーリンは東北人その1 冬のりんご&みかん箱

 毎年秋の終わり頃になると、我が家の廊下には二つの段ボール箱が並び、ただでさえ狭い通路がさらに狭くなる。でもそれはうれしいことで、一つの箱にはりんご、もう一つにはみかんが、それぞれぎっしり詰まっているのだ。りんごは夫の弟の奥さん方のご親戚が青森から送ってくれる。みかんは、私の母の知り合いの農家さんが大分から送ってくれるものだ。そして、年が明けて今くらいの時期になると、だんだん減ってきたりんごとみかんが一つの箱にまとめられる。同じ箱の中に詰められたりんごとみかんは、まるで一つの円の中で陰と陽がお互いを飲み込むようにしながら治まっている太極図のようにも見える。一つの空間の中で北と南がお互いを主張し合うその様子は、まさに私たち夫婦みたいなものかもしれないなと思ったりするのだ。

 東北の秋田出身の夫と、九州は大分出身の私の生活では、結婚当初はもちろん、未だにお互い生活習慣や文化の違いを感じることが多々ある。でも、それはけっしてネガティブなことではなく、オドロキと新しい発見みたいなものだ。もちろん、中にはお互いになかなか受け入れられないようなこともある。でもそういう東西文化の違いを知ることで、やっぱ日本って広いんだなと再確認したりするわけで、とどのつまりそれはオモシロイことなのかもしれない。というわけで、改めて感じる北と南の習慣の違いとか、九州人の私から東北人の夫をみて驚いたり不思議に思ったことなんかを、(どれも些細なことだけど)時々ここでも書いてみようと思うわけです。テーマタイトルは、私の大好きな小栗佐多里さんの『ダーリンは外国人』のパロりで、”ダーリンは東北人”。(^_^)v

 手始めは、やはりこの時期なのでお正月に関することから。お餅の形は、秋田は角餅で大分は丸餅。これは特に珍しい話ではないけれど、夫は私の実家に来たとき、お雑煮の中に入っているお餅も焼いたお餅も全部丸だったので、最初はさすがに不思議そうにしていた。「丸いお餅というのは鏡餅だけだと思っていた」そうだ。一方、私が秋田の夫の実家で初めてお正月を過ごしたときにいちばん驚いたのは、1月2日にとろろご飯が出てきたことだった。

 お正月の2日にとろろご飯を食べるのは、昔からの決まりなんだそうだ。ヤマイモをすりおろし、昆布やかつおでとった出汁と醤油などを合わせた汁でのばし、それをご飯にかけて食べる。とろろは消化がよく、年末からの食べ過ぎ飲み過ぎで疲れた胃をすっきりさせてくれる効果があるということらしい。西でいえば、七草粥みたいな役割なのかなと思う(七草粥のほうは、ほとんど食べないそうだ)。にしても、7日でなくて2日にもう胃をいたわってあげようなんて、さすが東北、飲む量が違うのね、というのは私個人が思ったことだけど。でも、とろろご飯だとご飯が何杯でも食べられる、といって、義母も夫もご飯3杯とか食べちゃったりしているんだけど、それは疲れた胃にはどうなんだろうか......。だけどたしかにさっっぱりしておいしいし、今じゃ私もお正月に秋田にいると2日のとろろご飯が楽しみになっている。今年は2日の午後に大分からこちらへ戻ってきたが、夜に夫がちゃんと作ってくれた。

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2006年1月14日 (土)

暴論を読んで思ったこと

 今週発売の週刊文春に、「天下の暴論」という特集ページがある。不定期ながらけっこう定番になっている企画で、今回も、文化人、著名人など十数人が「いまの日本にこれだけは言っておきたい」という暴論を展開させている。その中で水木しげる先生と漫画家のさかもと未明さんの談話原稿を担当した。この特集はご本人が原稿をお書きになる場合もあるし、忙しいとかその他の理由で書けない方の場合はライターが話を聞き、それをまとめるという形になっていて、原稿の最後に、(談)となっているものはライターがインタビューをして書いたものと思われる(私の場合がそうだったから)。

 水木先生のご主張は、先月取材をしたときにもここで書いたけれど、”日本人よ、もっと怠け者になりなさい”という話。一方、さかもとさんのほうは、小泉首相に対して”来年の8月15日、ぜひご一緒に靖国に参拝致しましょうよ”とお誘いしている話。どちらも話の展開などは構成しているが、ご本人の口調や話のトーンについては、できるだけインタビュー時の様子を忠実に再現したつもり。さかもと未明さんは漫画、エッセイ、評論などを中心に、性に対する奔放な描写や発言がなにかと話題になっていて、過激なフェロモン系というイメージが先行しているようだが、実際にお会いしてみると、物事を淡々と論理的に考えながら自分の意見をはっきりと語ることができる、とても明快な女性という印象を受け、話していて気持ちよくなる感じだった。

 さて、今回の16の暴論の中でも私が一番痛快だったのは、作家中村彰彦氏の”「朝青龍」「伊豆の国市」で日本語が死んだ”というご意見である。中村さんは歴史・時代小説作家でとりわけ幕末や新撰組関連の著書が多く、特に新撰組の本は、司馬遼太郎先生の著書と並んでかつての私にとって新撰組のテキスト本的存在だった。今回中村さんは、最近の力士の四股名や平成の大合併で誕生する新しい市の名前はことごとくネーミングのセンスの悪さや安直さが際立っていることを訴え、それらは日本語がいまや死に体になっていることを顕著に表しているものだ、と嘆いているご様子。まさに......こんな名前なら新しい市にしてくれなくてもいいよ、とか思っちゃいそうな都市名、たくんさんあるみたいなんだよなあ。そして、力士の名前に安直な語呂合わせが始まったのは、昭和の末近くにアルゼンチン出身の二人の力士が、星安出寿(ほしあんです)、星誕期(ほしたんご)の四股名を頂戴して以来か、とも書いていた。いたよ、いたよね〜、星安出寿と星誕期。

 14〜15年前、当時机を置かせてもらっていた事務所の仕事仲間(というか飲み仲間)数人で両国の国技館に大相撲を観に行ったことがあった。初めて見る小錦の壁のような大きさに目を奪われたことは今でも忘れられないが、早めの時間から観ていると、そこに出ていたんです。星安出寿と星誕期という力士が。アルゼンチンだからアンデスとタンゴ? 確かにあのときは安直なネーミングだなあと思いつつも、まだ誰も知らない未来の大スターを見つけ出した気がして、一緒に行った仲間と「これから注目していこうな、がんばってくれればいいな」とか話していたんだけど、気がつけば両者とも最高位が十両までで終わってしまったようである。たしかに大関とか横綱にはなれそうもない名前だといわれれば、そうかもなあ。

 でも、星安出寿は引退後、2002年の日韓ワールドカップのときにはアルゼンチンチームの通訳として活躍したし、星誕期は2004年に現役の上位力士としては最年長までがんばって引退した。いずれも相撲では大成しなかったかもしれないけれど、長い人生で考えたら成功するか否かって、まだわかんないもんね。って、ちょっと中村さんの主張からはズレてしまいましたが、アルゼンチンからやってきた二人の力士のことを急に思い出したので、つい書いちゃいました。

 

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2006年1月13日 (金)

感劇話その12 苦しすぎるよ〜。

 新春浅草歌舞伎を観てきた。相変わらずの賑わいぶりを見せる雷門を抜けて、浅草公会堂へと向かう。亀治郎のお年玉(年始のご挨拶)に続いて、『仮名手本忠臣蔵』の五段目と六段目、そして、踊りが中心の『蜘蛛絲梓弦(くものいとあずさのゆみはり)』という演目。『蜘蛛絲......』は、女郎蜘蛛の精を演じる亀治郎の踊りの巧さと鮮やかな早変わりの六変化にすっかり引きつけられた。「一度も観たことないけど、スーパー歌舞伎のエンターテインメント性って、きっとこういうものなのかねえ〜」と、一緒にいた友人で編集者のMMさんと思わず拍手。知っている人も多いと思うけど、亀治郎は市川猿之助の甥にあたり、猿之助のスーパー歌舞伎にもたびたび出ているからね。

 『仮名手本忠臣蔵』は文楽でも観ているが、なにしろかなり長い話(全部で十一段)なので、たいていそのうちの主な段を抜粋して上演することが多く、観たことがあるのは四段目『判官切腹』とか七段目の『祇園一力茶屋の段』、九段目の『山科閑居の段』など。だから今回の五段目、六段目は初めて。ここは主に早野勘平の悲劇を描いたお話だ。勘平は舅を殺したと思い込んで切腹するが、今はの際に無実と判明し、仇討ちの連判状に名を連ねることを許されるという、またまた不条理なストーリー。で、またまた切腹から絶命までが長かった。

 文楽も歌舞伎もそうだけど、切腹するシーンはぐさっと刺してすぐに死んでしまうわけじゃなくて、そこからみんな、悶絶しながらいろいろと重大な秘密や真実を打ち明けたり遺言を話したり、というシーンがひとしきり続いて絶命する。それが15分とか20分とか続くんです。これは観ている側にとっても、けっこう苦しいと私なんかは思うのだが、こういうシーンが多いということは、江戸時代にそれがかなりの見せ場として大衆の支持を得たからなんだろうかなあ。お芝居とわかっていても、なんかきつくてじっと見続けることができない自分がいる。

 今日も、勘平演じる勘太郎、刀がお腹に刺さったままホントに苦しみながら虫の息でいろんなことをしゃべって、身の潔白が明らかにされたらそこからさらにググっと腹を一文字にかっさばき、はらわたを出してその血で血判状に署名、なんてグロすぎる......そうして最後にはほっと喜びつつ、自ら喉を掻き切って絶命......しんどすぎませんかー? なにもここまでしなくても......早く介錯してあげてよ〜、と思ってしまう。子供が死ぬ場面では不条理でデフォルメとわかっていてもつい涙が出てしまうのだが、こういう大人の切腹シーンでは、さらに演出が過剰すぎる気がして、悲惨な気持ちにはなっても涙は出てこない私。でも、たしかに役者は熱演ではあるんだけどね......。

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2006年1月11日 (水)

野菜高し

 年末から野菜が高いのが気になっていたが、昨日スーパーへ行ってまた改めて感じた。高いよ〜、野菜。原因は先月の記録的な大雪と寒波襲来の打撃を野菜がもろにウケているからだが、年が明けても日本海側の大雪はいっこうに治まる気配がなく、野菜の高騰も続いている。普段は一袋100円台のホウレン草や小松菜などの葉モノは100円くらい高くなっているし、水菜や葱だって298円。有機栽培の水菜に至っては398円だ。隣にいた若い主婦二人も絶句していた。「わ〜、こんなの買えないよ」って。白菜なんて、4分割で200円近いのだ。これじゃあお鍋も作り辛いよねえ。あ、蕪は同じ198円だ! と思って手に取ると、いつもは1袋に5〜6本入りなのに、昨日は3本だった......蕪よ、おまえもか。かろうじてあまり変わっていないのは茄子とかインゲンなど、四国や九州南部の地域で作られている野菜くらいだ。でもその四国や九州だって、先月は記録的な大雪が降ったわけだから、この先まだどうなっていくかわからないかも。

 高級スーパーや自然食品の店でこだわりの野菜を買えば、同じ量でも普通のスーパーより100円〜200円高い、というのはフツーである。でも、毎日のように同じ100円という値段で買っていたものが、いきなり200円になるというのは、庶民の台所にとってはやっぱり打撃だろうし、献立も考えちゃうよなあ。ゆうべは蕪と牡蠣のシチューでも作ろうかと思っていたが、結局3本の蕪を買い、葉と茎は冷蔵庫に残っていた白菜とホタテの缶詰と一緒に炒め煮にし、実の部分は薄めの塩でさっと揉んで、じゃこと一緒に浅漬け風サラダにした。

 しかし、東京近郊にいれば野菜にグチるくらいですむが、日本海側の人にはこの大雪は深刻だ。ゆうべは、大雪で孤立しそうになっている地域に住む人が年明けて初めてスーパーへ行ったら、野菜が高いのに驚いて、パンと鶏肉だけたくさん買って家に戻った、というニュースを見た。でもそういう新潟の人たちって、さすが昔からの暮らしの知恵で、冬が来る前にキノコや野菜の漬け物など、保存食をたくさん作ってタッパーに詰めてあるのだ。最悪孤立しても、まだそれで1ヶ月は暮らせるという。でも、灯油などの燃料が届かない方が心配だそうだけど。早く雪が軽くなって、除雪作業が進むといいが。じつはいま、来週早々に秋田の能代に出張しそうな予定になっている。あの辺りも大雪らしく、秋田出身の夫に聞くと、「まじ? いま日本でいちばん辿り着きにくい場所かもよ」といわれたのだが......果たして、どうなるんだろうか。

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2006年1月10日 (火)

胸のつかえ

 買ったまま1行も読んでいない本、というのが家の中に数冊ある。話題になっているときにとりあえず購入しておくのだが、忙しくて読めなかったり、先に仕事の資料として読まなきゃならない本がどんどん出てきたりしているうちに日数が経ってタイミングを逸してしまい、そのうち、後に買った新しい本の方をいつのまにかさっさと読んでしまって......という感じで、たまった未読の本が数冊。こういうのって、私だけだろうか。取材や原稿の資料として読む本と違い、純粋な読書欲から手に入れた本は、できれば気分もゆったり落ち着いているときに読みたいなあと思うほうなので、なんだかんだとあわただしい気分のときにはどうしても素直に手が伸びない。そんな感じで、部屋の一角に未読の本の壁ができている。一昨年〜去年のその代表格が、『ダ・ヴィンチ・コード』だった。

 2003年にアメリカで出版されて以来、一大ブームを巻き起こした本なので、既に読んでいる人はたくさんいると思う。キリスト教の聖杯伝説を取り上げている話だという概略はわかっていたし、知人もみんな絶賛していたので、早く読みたかったのだが、何故かたまたま機会を逸したまま、雑誌やテレビで取り上げられるのを見ているうちに、もう読んでしまったような気分になっていたところもあったり。そうやってその本も、2005年もいつしかリリー・フランキーやら村上春樹やらに先を越され、何年も読まないままになっている本の壁の1ピースになりかけていた。

 しかし、そんな状況を打破するきっかけが訪れた。それはほんとにささいなこと。去年の12月、penの取材でフランス文学翻訳家の村上香住子さんにお会いしたときのことだ。20年間のパリ生活を終えて日本に帰国された村上さんから、サン・シュルピス広場の話をうかがったのだ。パリ在住中に、ちょくちょくその広場を訪れたという村上さん。「とってもおしゃれな雰囲気で素敵な広場なんだけど、最近は『ダ・ヴィンチ・コード』のおかげで、教会に観光客が殺到しててタイヘンみたい」と、最後に苦笑いされていた。ああ、そうだよ、『ダ・ヴィンチ・コード』の前半には、サン・シュルピス教会が登場する。ルーヴルをはじめ、あの本に出てくる場所を訪ねるツアーがすごい人気を集めているということを聞いてはいたが、やっぱりすごいんだ......。私がはるか昔のパリ滞在で訪れたときは、ひっそりとした静かな教会だったのに。そうか〜。そこへもってきて、小説が映画化され、ついに2006年春には日本でも公開されるという話も耳に飛び込んできて......。やーっぱ、映画を観る前に読んでおかねば。とまあそんな単純なきっかけで、時間もたっぷりあったこの3連休に、ついにモナ・リザの表紙を開くことになったのだった。

 ひとたび読み始めたら最後、止まらなくなり、1日半で一気に上下巻を読み終えた。やっぱおもしろかったわ。しかけの巧みさ、エンターテインメント性、作者の博学なこと。ダン・ブラウン(作者)すごい。そして、翻訳家(越前敏弥氏)の力量もすごいと思った。数年前に、世界遺産の原稿でルーヴル美術館を担当したことがあった。もちろん前に訪れたことはあるものの、所詮は観光。世界遺産としての原稿を書くとなるとまた話はぜんぜん違う。膨大な資料を読み込んで、かつてはフランス王家の城であり、王政から帝政に変わった後、世界の至宝をたたえる美術館となったルーヴルの歴史を書いた。『ダ・ヴィンチ・コード』の上巻では、そのときに頭に叩き込んだルーヴルの内部の地図や庭の配置がページをめくるごとにありありと蘇ってきて、ほんとうに手が止まらず、すっかり勢いがついてしまった。もっと早く読んでおけばよかったよと、大いに反省。でも、1年半近く遅れてきたプレゼントという感じで、なんか胸のつかえもとれてスッキリ。映画で主人公の学者を演じるのはトム・ハンクスだそうだが、それも楽しみかも。大学ラグビーの決勝戦と、高校サッカー決勝戦(野洲もすごかったね)をテレビ観戦した以外は、ほとんどごろごろして読書していた連休だった。ああでも、ゆっくり本を読める時間があることの楽しさに、久々に目覚めた感じ。

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いまさらですが......。

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2006年1月 7日 (土)

感劇話その11 笑初め連チャン

 一昨日の狂言に続き、昨日は落語を聴いて大いに笑ってきた。渋谷のパルコでやっている志の輔らくごだ。今月は3日から26日までの長丁場で、これまで10年間続けてきたパルコでの独演会の一つの区切りとして、新作や新古典ばかりのベスト12をピックアップし、1日にそのうち3つずつ噺すということらしい。

 前売りは完売だそうで席もほぼ満席。現代の庶民の生活の1コマを描いた新作「はんどたおる」「ガラガラ」と、彫金師が出てくる新古典「滝のそうみん(字がわからず、失礼)」。3席とも聴き応えがあって、1席50分くらいの噺もぜんぜん長さを感じない。登場人物一人一人の個性がとてもよく際立っていて、1シーン1シーンの映像がくっきりと浮かんでくるようであった。志の輔という人は、「ためしてガッテン」のときにはその饒舌ぶりがちょっと小うるさい感じもするのに、高座ではその雰囲気が全くなく、その噺の巧みさに引き込まれてしまうから不思議だ。中身の詰まった3時間弱だった。松の内に2日続けて楽しい笑いを満喫。いい滑り出しかも。

 帰り道、ベトナム料理屋に入ってフォーを注文。あまりに透明なスープで、飲んでみるとほとんど味がない。チリソースや甘味噌が出てきたので、もともと薄味の店で、自分で味を調節するのかなと思ったが、それでもまだ薄いので首を傾げながら、ヌクマム(ベトナムの魚醤)を頼んだ。ちょうど、数分前の志の輔らくごに、芋煮を作るおばあさんの噺が出てきて、「薄いと思って醤油を入れると辛すぎて、砂糖を入れると甘すぎて、また水を入れると薄すぎて......」という下りがあったことを思い出し、一緒にいたKちゃんと二人で笑ってしまった。

 そのうちチリ入りのヌクマムが運ばれてきたと思ったら、店員がやってきて、「お客様、たいへん申し訳ありません、作り直しますので」といって、器を下げていった。やっぱり、どうやら私らのフォーはどちらもスープのひと味を加え忘れたままで出されてしまったようだった。まじで味なかったもん。しかしそんなこともあるんだね。お店が混んでいたからあわてたのかなあ。ヌクマムを頼んだときに店員が私らの器を見て、あまりにスープが透明なことにハッと気づいたのだろうか。Kちゃんと、どこで気づいてくれたのかを考えてみたが、結局、店の人には真相を聞けず仕舞いだった。新たに出てきたフォーは薄い琥珀色。飲んでみると、そうそう、やーっぱこれがフォーだよねー! のコクとうまみがついていた。お店の人からは丁寧な謝罪の言葉もいただき、デザートのプリンもサービスしていただいた。思いがけないフライングだったが、その後の誠意ある迅速な対応は気持ちよかった。つくづく、お客さん商売は正直で誠実なことがいちばんなんだなと思う。

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2006年1月 6日 (金)

感劇話その10 狂言で笑初め

 国立能楽堂に、茂山家の新春狂言を観に(聴きに)行ってきた。京都を本拠地とする茂山家の狂言は、5〜6年前に若手の人たちが「花形狂言少年隊」というユニットを結成して新しいチャレンジをしていた頃に1、2度取材したことがあり、それ以来時々公演にも足を運んでいたが、考えてみたら今回は数年ぶりだった。取材当時二十歳前後だった逸平くんや童司くんもすっかり堂々たる一人前の狂言師という感じになっていて、なんか月日の流れを感じてしまいましたが。

 今回は年の初めということで、茂山家本家で毎年1月4日に行われているという「舞初式」の再現で始まった。1人か2〜3人ずつ順番に神様にお参りした後、舞と謡を披露する。もちろん、同じ狂言師でも流派や家によって、新年の過ごし方はそれぞれに違うらしいけど。舞初式の後は新春トークなるものが15分くらいあったが、能舞台の上に座ったままで行われる二人のかけあいは、新手の漫才みたいでちょっと新鮮。その後は新作も含めて3つの演目が行われた。新作は元気な爆笑モノだった。

 茂山狂言は私の中では野村家と並ぶ大好きな狂言。言葉もはっきりと聞き取りやすいし、ひょうひょうとした語りが味わい深くて、何気ない受け答えの台詞にすら、笑いを誘われる。今回は「柑子」という演目がいちばん気に入った。柑子(こうじ)はミカンの一種。主人から預かった3つの柑子を、例によって太郎冠者が勝手に食べてしまい、その言い訳をするという単純な話だが、言い訳の内容がばかばかしい。1つめ、2つめの柑子を食べた理由もそれぞれこじつけで、3つめの柑子に至っては、1つだけ取り残されているのはかわいそうだからという理由でちゃっかり食べてしまう。

 笑えるのは、その3つめの柑子の気持ちを、3人で島流しにされたのに最後に1人だけまた取り残される俊寛僧都の気持ちになぞらえて、いったん主人をしんみりとさせるあたり。なんでミカンの話に俊寛様まで出てくるのか。とっても大げさなんだけど、どこかでなるほど、そうきたかという感じにもさせられて小憎らしい。俊寛の話は「平家物語」に出てくることから、平家の邸宅があった六波羅と腹をかけあわせて「柑子を六波羅(腹)に無事納めた」という洒落まで出てくる。いっぱい笑えて、顔もほぐれたし、いい笑い初めでした。

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2006年1月 4日 (水)

気がつけば、ブーム?

 ここ数年はほぼ毎年のことになっているが、年明けてから年賀状を書いている。昨年末も印刷を終えたところで力つき、家の掃除やら忘年会やらやっていたら大晦日で帰省。よって今年も昨日、今日とで書いている始末である。心なしか今年は元旦に届いている年賀状がいつもより少ない気がしたが(とくに同業者関係が)、たぶんほかの皆さんもなにかと年末はバタバタしていたのだろう。私の場合は無精が多分に入っているんだけどね。

 大分でのお正月の話をもう一つ。実家の母は今もほぼ毎年のようにおせち料理を作っているが(昔ながらのごくごく素朴なものだけど)、今年は年越しは温泉に泊まりだったし、明けては私らも1泊しかできなかったこともあってか、初めて既製品のおせちを買っていた。でもよく聞くと、それはデパートとかホテルのそれではなく、役所勤めをしていた頃からよく通っていた居酒屋のオリジナルおせち、だという(その店は母のかつての職場の近くにあるのだ)。これが味もほどよく、ちょっと豪華な家庭料理という感じでとてもおいしかった。もちろん、おせちだから昆布巻きやらごまめやらなますも数の子もある。でも、既製品のおせちというと、私にはどれも甘さがややきつい印象があったのだが、このおせちにはそれがまったくない。おにしめもべたべたせずにちゃんと素材の味が生きていた。牛蒡の牛肉巻きとかローストビーフとかグラタンなんかも入っていたけど、量もほどよく上品。料理自慢の居酒屋だそうで、名前を聞けば、あの太田和彦氏のニッポン居酒屋放浪記にも登場していたお店で、大分にゆっくり帰ったら一度は寄ってみたいと思っていた店であった。母がそこの顔なじみだったとは......おそるべし。

 それで考えてみたら、最近はホテルや高級デパートだけでなく、個人経営の料理屋や居酒屋でもオリジナルのおせちを作っているところがけっこうあるのである。ふぐの忘年会をした山ちゃんのところも何年も前から作っているし、よく行く中目黒の家庭料理の店も、下北の「ジャックポット」グループのもつ鍋屋でも、先月、おせち料理受け付けます、の張り紙を目にしていたのであった。高級懐石の店などではなく、普通の料理自慢の店のオリジナルおせち。このところブームになっていたのかもしれない。それとも、私が気づくのが遅すぎるのか? そういうのがけっこうあるということは、需要がちゃんとあるってことなんだろうな。でもいいかもね、ホテルや懐石料理屋ほどお値段も高すぎず、ちゃ〜んとおいしいものが食べられるのは。そういうのだったら私も買ってみたいかも。

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2006年1月 2日 (月)

ざぼんとかぼすとサコティス

 結婚してからお正月休みは1年おきに夫の実家の秋田と私の実家の大分で過ごすようにしている。今年は大分の年だった。大晦日の夜に別府温泉の宿で両親と叔母と合流して年越し。ほどよい大きさの大浴場には、柑橘系の香りが立ちこめていた。見ると、湯船に大分県の特産品の一つであるかぼすと、特に別府の名産であるざぼんがたくさんプカプカプカ。かぼす&ざぼん風呂だ。ゆず湯は聞いたことあったけれど、これは初めて。地元ならではということですね。気持ちのいいお湯でした。ジェットバスも堪能。元日の朝もしっかり入ってきましたです。

 1日は大分の実家に戻って過ごし、今日の午後に帰京。帰りの大分空港で、思いがけないものをみつけた。リトアニアの伝統のお菓子、「サコティス」だ。たまたまちょっと前に某情報誌に写真が出ていて、なんだこりゃ?! と引きつけられたお菓子だった。超変形のバームクーヘンとでもいおうか、その外見は、巨大なサザエのような、クリスマスツリーのような、なんともいえない不思議な奇抜な形をしている。しかしその歴史は古く、16世紀にリトアニアの女王バルボラがパーティの催しのために国中からシェフを集め、「あっと驚く料理を作りなさい」といって作らせた中から、最高の品として選ばれたものなのだそうだ。女王に認められたそのシェフはご褒美に指輪をもらい、それを愛する女性に捧げて自らの想いも実らせることができたというエピソードもついていて、以来、サコティスはリトアニアの結婚式に欠かせないお菓子になっているという。

 その記事には、作っているお店がなんと別府と書いているではないか。ちょうどお正月に別府にいるから、場所を調べていってみようかと思っていたが、なにしろ大晦日の夜に着いて、のんびり温泉に入っているうちに元日の午後には別府を離れなければならなかったので、後日お取り寄せでもできるか聞いてみようと思っていたところであった。そのサコティスがなんと空港に。おそらく記事が出たことで問い合わせが多くなって、一時的に空港にも出店しているという感じなのかなと思った。別府在住のリトアニア人の店長さん自ら販売をしていて、ここで遭ったのもきっとご縁だと思い、買ってきました。そのいきさつを話すと、店長さんも喜んでくれた。包みもとってもシンプルなので、飛行機の中でも、特に離着陸のときは崩れないように手で抱えて、大事に大事に持って帰りました。しっとりとした食感とほのかな甘さがなんとも素朴な味わい。おめでたいお菓子で年の初めのサプライズなり。

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これです。すごい形でしょ。オモシロイでしょ。ついでにアップも。

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