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2005年12月31日 (土)

丸くなる猫

 昨日は朝から片付けと掃除。DMや書類などいろんなものをいっせいに捨てたりシュレッダーにかけたり、窓ガラス、玄関、台所のレンジ周りとやったところで切り上げた。これくらいの掃除をすると、いかに自分が大量のゴミと暮らしているのかがよくわかる。

 せわしなく動いている私らを尻目に、ワラビは時間によっていろんな場所を点々としながら、そこで丸くなって寝ている。布団の上、ソファの上、日のあたるベランダの椅子、そしてツメ研ぎの上。ツメ研ぎの上というのはちょっとしたワケがあり、いつもは違う場所に置いているのだが、冬になるとファンヒーターの少し前にツメ研ぎを移動させる。つまりそこには温風が全面的に当たってとてもあたたかくなるのだ。猫を飼っている人はツメ研ぎをご存知だと思うが、ツメ研ぎは細長い長方形の形をしている。ウチではそれを二つくっつけて、ワラビがごろりと寝ても大丈夫なサイズにしているのだ。

 その2枚サイズのツメ研ぎをファンヒーターの前に置く。最初は実験的にやってみたのだが、こちらの期待通りというか思惑通りにワラビはそこでツメ研ぎをしたあと、気持ちいいのかくるっと丸くなって寝始めたのだ。以来、冬場にはそうしている(うちにはコタツがないからね)。猫は常にあったかくて心地いい場所をみつける天才だ。時々、そんなに温風に当たって毛が焦げないのだろうかと心配になるが、さすが天然素材100%の純毛だからか、燃えにくいようである(?)。ワラビはほんとーに超気持ち良さ気に寝る。掃除中にそんな姿が目に入ると、あほらしくなってやめたくなってしまうほど。猫の丸い寝姿は人をシアワセな気分にしてくれる。

 夕方からは、近所に住む飲み悪友、プロのラグビーレフリーであり編集者であるTグッチ主宰の恒例の忘年会で焼き肉屋へ。今年はたまたまこんなに押し迫った時期になったが、忘年会シーズンの締めに最強の忘年会が控えていたという訳だ。ターミネーターの胃腸をもつTグッチの忘年会だけに、食べて食べて飲んで飲みまくる、大食い大会かよ、というくらい(ちょっと冗談だけど)。レフリーの仲間や食べ好き、飲み好きが集まるので大変だ。私ら夫婦と同年代のカメラマンT氏もけっこうよくお食べになっていた。お腹が超いっぱいで眠くなって解散。今朝はお腹が痛かった。まあこれも平和の証、なのかもね。

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シメは平和な寝顔で。

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2005年12月30日 (金)

感劇話その9 おみつは本当に聖女か

 文楽12月公演もあっという間に終わった。今回は、本公演を1回と鑑賞教室を2回、合計3回国立劇場へ足を運んだ。鑑賞教室では去年に比べて制服姿の高校生がやたら多かったのにびっくり。最近は学校単位で鑑賞に来るところも多いのだそうだ。その鑑賞教室での演目は、『新版歌祭文』の野崎村の段だった。若い男女の純愛が三角関係になってやがて悲劇が訪れるという内容。年齢は確かにいまの高校生と近い人の話なのかもしれないが、200年以上も前の時代の話、いまの同世代よりずっと精神的には大人の世界、ではある。お染と久松、そしてお光の気持ちは現代の10代にはどんなふうに映るんだろうか、なんて考えながら観ていた。

 今年は本公演、地方公演、自主公演などを含めて約9回公演に足を運んだ。1回の公演がたいてい二部〜三部構成になっているとして(昼夜通して観るということはほとんどなく、たいてい分けて観るので)、最低でも16回以上は劇場に通ったということになる。そして、考えてみると、今年いちばん多く見た演目が、この野崎村の段であった。10月の地方公演で1回と、今回の鑑賞教室で2回。鑑賞教室は同じ演目でも日によってAプロBプロがあり配役が違ったので、3回それぞれ違う大夫と三味線、人形遣いで観ることができ、それはそれでおもしろかった。やはり同じ演目でも人が違うと味わいが微妙に変わってくるものだ。文楽歴4年弱の私ごときでも、ベテランさんが遣う人形の動きはやっぱり無駄がなく、自然でなめらかだなあと感じるのである。

 さて、野崎村の段のあらすじを超簡単にいうと、油屋の一人娘お染と丁稚の久松の二人が心中を覚悟するほど深く愛し合っている現実をつきつけられたお光(久松の郷里の許嫁)が、結婚の夢破れて潔く尼になる、という話だ。祝言用の綿帽子と白無垢姿で現れたお光が、綿帽子を脱ぐと、すでにその下には尼の装束になっている。「嬉しかったはたった半時」と、自分の結婚の夢のはかなさを嘆きつつ、お染と久松を心中させずに結びつけたい一心で、自ら身を引いたお光。そんなけなげでいじらしいお光の心がみどころのようで、こないだ一緒に行った編集者のHちゃん(30そこそこ)も、「お光がかわいそうで、もう泣けちゃいました〜」と感動していた。

 解説書なんかにも、お光のけなげな心にみんな胸うたれる、というようなことを書いている。う〜ん、でも、本当にそうなんだろうかと、素直じゃない私は考えてしまう。仮にお光が身を引いたおかげでお染と久松が晴れて結婚できたとしても、二人はそれで本当に幸せになれるのか。お光という若い一人の女性の運命を大きく変えてしまった、その大きな犠牲の上に成立するシアワセなんて、あるんだろうか。二人がふつーの神経の持ち主であれば、たとえ結婚できたとしても、その後の人生、尼になったお光のことを思い出すたびに後ろめたい思いがするのではないだろうか。とてもノーテンキにラブラブな生活をエンジョイする気分にはなれないはず、だ。だとしたら、尼になったことはお光にとって、二人に対して自分ができる最大の復讐なのではなかろうか。表向きにはいじらしさを装って、二人に幸せになってほしいといいつつ、心の中には復讐の炎がメラメラと燃えていて......生温い制裁じゃなく、ずっとずっと延々と二人を苦しめ続けることができる報復措置はないかと考えて、尼になったのだ。もしそうだとしたら、お光は高潔な聖女なんかではなく、黒革の手帳もびっくりのしたたかな堂々たる悪女なのである。

 日頃はごく素直な解釈をするワタシなのに、この野崎村のお光だけは、なんとなく若いHちゃんのようには素直に感動して泣けない。それってやっぱり性格がひねくれているから、なんだろうか。それともそれは歳のせい? (この話の続きとしては、最終的にはお染と久松は心中し、お光の献身的な行動も無駄になってしまうのだが。)

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2005年12月29日 (木)

ふくふくクリスマス

 もう数日経ってしまったが、今年のクリスマスの話。以前からときどき行っている居酒屋が田園調布にある。もともとは夫が独身時代から行きつけにしていた店で、店主はもと和食の料理人。行くといつもていねいな旬の魚や野菜の料理を出してくれる。結婚前は私たち二人とも沿線に住んでいたのでよく通ったが、結婚後は線がちょっと離れたので、数ヶ月に1度くらいしか行けなくなった。それでも久しぶりに訪れておいしい魚と日本酒を味わうとほっとした気分になれる、そんな店。店主の山ちゃんは演歌好きで、店内には演歌の有線が流れている。

 12月のはじめにこの店に行ったとき、ふぐの話になった。そう、ふぐはいつものメニューには出していないが、山ちゃんはもと和食の料理人なので、リクエストがあれば店でふぐのコースもやってくれるのだ。昔からその話は何度となく聞いていたが、なんとなくトライする機会を逃したままいつも冬が終わっていた。以前にその絶品ふぐを経験したことがある夫が、山ちゃんのは絶対に後悔させない、と拍車をかける。味はもちろん、その充実度に比べてお値段が嬉しいほどリーズナブルなのだと。よっし、そんなら今年はついにふぐで忘年会やりますか! ということになった。お刺身と鍋のコース。せっかくふぐを仕入れてもらうのだからもう少し人数がいたほうがいいということで、東横線沿線に住む妹夫婦と友達夫婦に声をかける。みんな土日が都合がいいというので、25日に決まった。友達夫婦の妻のほう、Sは大阪出身で、ふぐが大大大好物! といって狂喜乱舞していた 。

 ふぐに目がない人は世の中に多い。私は大分出身で、大分もふぐは有名だけど(肝を食べさせる店もあったりする)、子供の頃からほとんど食べたことがなかった。大分にはほかにも関あじや関さばや、城下カレイや、ブランドになっていなくてもフツーにおいしい魚がたくさんあるので、そんなにふぐを食べたいと思わないのだろう(と、私は勝手に決めつけている)。大人になってからも、地元で有名なふぐの店(ここはグローブのケイコの実家です)で一度食べたくらいで、東京ではほとんど食べていない。仲良しの関西出身の友達Bが「東京では値段の割に満足できるふぐに出会ったことがない」とキッパリ言うので、その影響もあって、特に触手も動かず今まできていた。

 いよいよ忘年会当日。山ちゃんが河岸で仕入れてきた立派なとらふぐさまが3尾、調理された。最初に冬瓜となめこのあんかけや、むかごとくわいのさっと揚げなどがちょっと出てきて、それをつまみながらふぐさまを待つ。まずはいろんな部分の皮。もみじおろしとポン酢でいただく。こりこりしておいしい。ふくよかな味のポン酢も山ちゃんの自家製である。次は大皿いっぱいに美しく花開いたてっさ(お刺身ね)。長島さんほどではないが、箸でがーーっと寄せてポン酢にくぐらせ、ほおばる......わーん、シアワセ。そのあたりでひれ酒をいただき、最後は鍋。はじめに口や尾の周り、骨の周りなどのアラを入れて出汁をとるようにして(もちろん、それらもしゃぶって食べます)、次に身をしゃぶしゃぶ。くたりと煮えた白菜や京菜もうまかった。

 そして締めは雑炊。もう腹くっちい。でも食べた。みんな動けないくらいにお腹いっぱいになっていた。このコースで飲み物代別で一人ン千円。これぞシアワセ、ふくふく、のふぐコースではなかろうか。一同大満足。大阪出身のSも「いいね、いいね、大人のクリスマスだね!」とまたまた狂喜乱舞。みんなで山ちゃんに大感謝した。山形結婚披露宴の旅からシアワセ気分でイブに戻ってきて、翌日はふぐ。まさにほっこり気分のふくふくクリスマスというわけでした。また食べたい。

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2005年12月28日 (水)

感劇話その8 オンショアな「なだそうそう」

 26日に花緑さんの独演会に行ってきた(於:紀伊國屋ホール)。考えてみたら、奇しくも去年も12月の26か27に、そんときは取材でお会いしたのだった。やはり新宿で。1年の締めに花緑さん、それは嬉しい偶然だったかも。この独演会「花緑ごのみ」も今回で22回目らしい。花緑さんの好みの噺を喋る会、ということで、「花緑好み」。

 新作と古典の二部構成で、今回は、古典落語の『柳田角之進』をネタおろし(初演)するのが話題になっていたが、武士である角之進の高潔な人柄がよく伝わってきて、中辛な噺だけれど、どんどん引き込まれていった。でも個人的にはやっぱり番頭や主人の喋りのほうが、よりしっくりくる気はしたけど。なんといっても初演だし、これから何度も喋るうちにまた変わっていくのだろう。一部で喋った新作『反対俥』はスピード感があってアクロバティックで、いかにも花緑さんらしかったけれど。

 お仲入り、と称した休憩時間、ロビーのほうからなにやらウクレレの音色が聞こえてくるなと思ったら、その音がどんどん近づいてきて、なんとアロハシャツを着た花緑さんがウクレレをならしながら客席に乱入してきたではないか。それは「お坊っちゃまの部屋」と題した休憩時間のミニライブだった。真っ赤なアロハ(これがまた偶然にもうちの夫とおソロでびっくり)を着た花緑さんが、ウクレレをかき鳴らしながら「なだそうそう」と「上を向いて歩こう」を熱唱。これがまた上手で、カラオケは得意そうである。

 「なだそうそう」はご存知、沖縄出身のBEGINが作曲し、沖縄出身の夏川りみが三線をつまびきながら唄う名曲。歌詞は森山良子だけどね。かねてより私は個人的に三線とウクレレの音色の共通性について(どちらも、なんともいえずほっとしてしまう音色でしょ?)考えていたのだが、「なだそうそう」は三線でなくても、ウクレレでも充分味わい深くてよかったっすー。まるで海からそよそよと風が吹いてくるような......。休憩時間ぎりぎりまでミニライブやって、速攻で着替えて、びしっと着物姿で二部に登場した花緑さん。さすがいろいろと芸をお持ちのようですなあ。

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MC中の花緑さん。ぼけぼけでごめんなさいです。

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2005年12月27日 (火)

山形の旅その2

 山形結婚披露宴の旅の続き。2日目、上山(かみのやま)温泉の宿をチェックアウトし、新幹線の発車時刻まで市内を散策。降りしきる雪の中、泊まりチームの5人で武家屋敷や上山城を目指した。どちらもフツーなら宿から徒歩10〜15分くらいのものだが、雪は前日よりさらに積もり、積雪50センチくらいになっている。車に踏み固められた道を歩く我々の姿は、まるで”新型アシモくんの走り”だった。夫の実家の秋田の雪を知っている私は念のためにビブラムソールの靴を履いてきたので大した苦労はなかったが、それでもお城からの帰り道、下りのカーブでは足が開いて滑りそうになる。後ろぺったんこの革靴を履いているK君はサイドステップを駆使してゆっくりの雪中行軍。何度も危機に陥りそうになったが絶妙に持ちこたえていた。アシモ歩きの我々の横を、おばちゃんが自転車ですいすい〜っと走り抜けていく。地元の人にはこれくらいの雪はなんでもないのだ。でも、この時期にこれだけの雪が降るのは珍しいと聞いた(これだけ降るのは、いつもなら1月だそうで)。やっぱり稀な大寒波だったのかな。

 上山城の一番上まで上がって、周囲を山に囲まれた真っ白い市内を一望。城内は郷土歴史資料館になっていて、弥生式土器や甲冑などを見学。歌人斎藤茂吉も上山市の出身であった。お昼は地元の人お薦めの”そばの達人7人衆”の一人のお店へ。香りと歯ごたえが絶品の鴨せいろを満喫。何故だか煮込みもあって、みんなで頼んでみたらこれがまたおいしかった。ビールといっしょに堪能した。

 駅前のお土産やさんでは、チームの一人、O君の顔にそっくりのヒゲだるまの張り子があって大ウケ。O君はしばしその場から動けなくなっていた。それくらいにそっくり。世の中に自分と似ている人が5人はいるといわれるが、その一人が張り子のだるまだったとは......。

 帰りの車内では、復習としてまた山形のお酒を味わう(行きも帰りもちゃんと日本酒を買っているO君、すばらしすぎでした。ごちそうさま)。トンネルを抜けるごとに雪が薄くなっていくのが、なんだか淋しくさえ思えた。1泊2日の山形結婚披露宴の旅は、楽しい旅、癒しの旅でした。お酒もよく飲んだ!

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張り子の犬を買った。”丸笑い”というタイトル付き。犬は来年の干支。ちなみに、上山市の高松というところは、和紙の産地だそうです。

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2005年12月26日 (月)

28年ぶりの修学旅行

 23日から1泊2日で山形へ行ってきた。高校の同級生で、東京での同窓会メンバーであるマッコさん(男性)の結婚式である。山形美人を娶られることになり、挙式披露宴も現地で、ということになった。我々大分出身の東京在住組は12名が披露宴に参加することになり、やまがた新幹線つばさを団体でおさえていただいて出発。行きの車内から、予行練習といってはみんなで山形の地酒を飲みつつ、ビールも飲んでもうお座敷列車状態。同級生とこんなに一緒に旅をするのはじつに高2の修学旅行以来であった。

 福島を過ぎた頃からトンネルを抜けるたびに車窓の雪景色もどんどん深さを増し、そのたびに九州ラテン系の大分県人チームは大はしゃぎ。奇声はあげるわ酒は飲んでるわで、周りの一般乗客の方々の白い視線を浴びながらの道のり(失礼いたしました)。山形駅についたときには20〜30センチの積雪だった。名酒出羽桜酒造の取締役も列席された夕方からの披露宴は、出羽桜の鏡開きに始まり、乾杯のお酒も出羽桜の吟醸酒。さすが日本酒のお国柄である。観世流梅若の方のお謡い(高砂や〜、のあれ)も私には初めての経験だった。

 新婦はお茶もお花も着物の着付けもこなす典型的やまとなでしこ。こんな人がまだちゃんといらっしゃったのねという感じである。マッコさんは2年前に東京から山形の支店に転勤になり、その社内で生涯の伴侶と出会ったわけで、人生ほんとうにどこで何があるかわからない。満面の笑みのお二人を見て、本当によかったと心から思った。末永くお幸せに。

 披露宴後、同窓会メンバーは7人が日帰りし、私を含めて宿泊組5人は二次会にちょっと顔を出してから隣駅の上山(かみのやま)温泉の宿へ移動。ちらほら雪の舞う夜の露天風呂をしみじみと堪能した。温泉久しぶりだったけど、やっぱりいいわあ。同級生の結婚式プラス温泉の旅、なかなかやみつきになりそうである。まだ独身が2人いるので今後に期待。ぜひ地方で披露宴やっていただきたいなあ、なーんてね。

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披露宴の最初に出たスワンシューに詰めた貝柱のタルタル。白鳥の飛来地がある山形ならでは?

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2005年12月22日 (木)

幸福猫

 水木先生の原稿を書くのに、資料として先生の御著書を数冊読んでいたら、たびたび「猫は幸福だ」という話が出てくる。昔、アフリカのドゴン族に聞いた話をこう書いている。ーー彼らはいう。「猫は幸せだ。食うために働かないから......」。なるほど考えてみると、猫は人間に働かして食べてる。しかもゆったりと時間を使って昼寝なんかしている。ーーそのとおりだ。猫はラクして生きている。うちのワラビの辞書には「苦労」や「遠慮」という文字はない。この14年間ずっと、私がせっせと原稿を書いて稼いだ原稿料で、にぼしやかつおぶしやカリカリを食べている。

 どんなにこっちが忙しい朝でもあたりまえのように悠然と膝の上に乗ってきてブラッシングをしろとアピールし、私はドライヤーをブラシに持ちかえて数分間ワラビの毛をとかす。原稿を書いていると、マックと私の手の間にどんと座り込んで作業を妨害。勝手にキーボードを押して「ああああああああああああああ」と原稿を書く。相手の都合はいっさい関係ない。飽きるとぷいといなくなり、布団の中で丸くなってものすごく気持ちよさそうに眠っている。ものすごくマイペース。夜中や明け方、寝ている私の枕元でご飯ご飯といって鳴く。めんどくさいので無視しても、根負けして私が布団から出るまで30分くらいは平気で鳴き続ける。ものすごく粘り強い。教訓を生かして寝る前にご飯と水を多めに入れておいて寝たときは、朝見るとほとんど食べていなかったりする。とことんきまぐれ。

 そんな態度にしょっちゅうムカつくし腹もたつが、結局はそのスーパー自己チューぶりがどうにも憎めないのだ。ササミやマグロなどグルメな食事を毎日与えるような贅沢をさせてるわけでもなく、この狭い家とベランダだけがワラビの世界。そのなかで気ままに生きている。仕事している横でうるさくブラッシングやご飯を迫られても、あの上目使いのかわいい目で一心にみつめられると、つい負けてしまう。あの目は、「シュレック」の長靴をはいた猫よりも数倍魔性的でクセものだ。夜遅く帰宅しても、夫は寝ているけれどワラビはいつも玄関まで出てきてくれる。水木先生の敬愛する「ラクして生きる”幸福者”」は、猫と、(戦争中に配属された)ニューギニアの森の住人と、「ガロ」のつげ義春氏だという。「無能の人」のつげ義春さんとはいったいどのような人だったのだろうか。私はワラビがいてくれることで幸せを味わっているが、ワラビは今の暮らしで本当に幸福なのだろうかと、ときどき考える。



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最強王ワラビ

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2005年12月20日 (火)

忘年会は続くよ......

 ゆうべはちょいワル紳士? の2人と3人忘年会。O氏とN氏(もちろん、王と長島ではありませんよ〜)、お二人とも編集長経験者で私にとってはお仕事をくださる立場の方々。でも歳が近いこともあり(O氏→私→N氏の順で一つ違い)、ときどき集まってはなんだかんだ仕事以外の話をしながら飲んでいる。とくにN氏とはもう14年くらいのつきあいだ。昨夜は以前「ペンアテス」で取材した銀座のワインバーで、おいしい料理とワインを堪能。

 自動車と食にかなり造詣の深いO氏はベテランのマックユーザー。開口一番、「マキノさん、マック使いこなしてますか? JEDIT使ってますか?」と聞かれ、「いえ......とりあえずワードが使えるんでワードでやってます......」というと、「それはねー、フェラーリを買ってまだ一度も高速を走っていないのと同じですよ!」とキッパリ。ふ、ふぇらーり......? そ、そこまでいいますか〜!? 私のいまのマック使用環境は、フェラーリで環七や甲州街道をちんたらと走っているようなもの......それってかなり情けないということか......。そうですか〜、そこまでおっしゃるほどのものなら使ってみましょう、JEDIT。でもとりあえず年末の原稿書きが終わってから......と、あくまで小心者の私。
 3人で会うと映画や音楽の話がけっこう多いのだが、N氏が、「ローリングストーン誌が選定する歴代映画ベスト100、を見たんだけど、ベスト1は何だったと思う?」というと、O氏と私がいっせいにウルサくなる。やれ「E.T」だの「スターウォーズ」だの「カサブランカ」だの「サウンド・オブ・ミュージック」だの、自分の思い入れのある映画を連発。でもぜんぜん当たらない。そのうちついにO氏の「ゴッドファーザー?」が、ピンポ〜ン。ただし、パート2なんだと。冷徹な殺人鬼と化したマイケル・コルレオーネ、アル・パチーノですね。でもちょっと意外。

 映画の話になると、N氏と私はいつも「ジェレミー」とか「ジョニーは戦場へ行った」とか、中学時代に強烈な印象を受けた、だけどその割にはいまみんなに話しても意外と見てる人が少ない作品の話できゃっきゃと盛り上がるのだが(渋谷のTUTAYAにビデオがあったとか)、いちばんお兄さんのO氏は相変わらずいろんな細かいことを覚えていて、「サブリナ」で、サブリナのお父さんが主人であるボギーに車の中で語った台詞(かっこいいことを言っているのである)、みたいなことまですらすらとお話しになる。オードリーまで守備範囲だったとは......。そのへんの知識の豊富さと深さはほんとにすごい。

 とはいえ、何十という映画の話が飛び交ったが、その大半は「ほらほら、あれあれ、あの映画」とか、「あいつあいつ、あの俳優......えーと」と、3人ともタイトルや個人名がぜんぜんすぐに出てこなくて、「あれあれ」「ほらほら」の嵐。これは当然、ワインを飲み過ぎたからではない。それでもちゃんと通じるからおかしい。これだって環七のフェラーリくらい情けない状態かも......。40代半ばトリオの飲み会はこんな感じなんである。

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2005年12月18日 (日)

不思議の国の水木サン

 取材で漫画家の水木しげる先生にお会いした。私にとって水木先生は、一度は会ってみたい人の一人だったので、わくわくどきどき。調布にある水木プロの応接室のソファの周りは、まさに鬼太郎ワールド。フィギュア、ぬいぐるみ、お面、ポスターなど、あらゆる鬼太郎ファミリー・グッズが満載でお宝の山。先生の登場をお待ちする間に、いやおうにも気分が盛り上がる。

 水木先生はお風邪を召されていて、やや体調がすぐれないようだったが、著書で拝見していたとおり、ご自分のことを「水木サンはね......」と呼び、子供時代のことを「ベビィのころはね......」と、水木語を連発してとってもお茶目。老人力炸裂で、話を聞いているだけで心がぽよよ〜んとあったまってくる。日経新聞に連載して大反響を呼んだ「私の履歴書」でもおなじみのように、先生はベビィの頃からものすごくよく寝る子で、小学校も常に遅刻で落第生、軍隊でも落第兵といわれながら、戦前も戦後もずっと気ままで好きなことだけにとことん熱中して生きてきたそうだ。「水木サンは生まれたときからちょっと変人だったからね......」なんていいながらも、他人との比較や世間の規範にとらわれることなく、あくまで自分の楽しさを追求することで人生の成功者となった先生の言葉には、自由であることの力強さがあり、あたたかい説得力がある。先生のそばにいると、自分の周りにも不思議なぽよよ〜んとした空気が漂っている感じで、「アホでいいんですよ。好きなことだけおやりなさい」といわれたりすると、素直に「はい!」なんていってしまうのだ。

 今の日本人は忙しく働き過ぎで、もっともっとなまけものになるべきだと先生はいう。「ずっと戦争をしてきて、しょっちゅうしょっちゅう勤勉に働なかければならなかった日本人は、幸せ下手な国民なんですね」と。ぎくりとさせられた。幸せ下手かぁ......考えさせられる言葉だ。先生が幸せ上手だと思う国民は、イタリア人なんだそうだ。鬼太郎の連載でものすごく忙しかった時期をのぞけば1日に10時間は寝ているらしい。昔、漫画家のパーティに参加すると、当時超売れっ子の漫画家数人がいつも徹夜自慢をしていたのが忘れられないという。「自慢してた人たちはみんな早く死んじゃってね......」先生は御歳83。うーんやっぱり、睡眠は大切なのだ。今年も取材でいろんな方にお会いしたけれど、ラストが水木先生で、幸せな締めくくりでありました。水木先生、いつまでもお元気で長生きしてください。

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2005年12月17日 (土)

年末進行と年始進行

 12月は年末進行で、原稿の締め切りがいつもより早い。毎月25日頃に出している和楽の原稿も今月は15日頃が締め切りで、先日送り、アテスの差し入れの原稿も週明けには出す予定。今年はこれで無事に原稿書きは終わりかと思っていたところに急に取材が入り、今週ばたばたと二人の人物にインタビューし、それぞれの談話をまとめることになった。20日前には仕事が終わる、そんな美しい年末のスケジュールを思い描いたのも束の間だった。まあ考えてみたら、いつもたいていそんなものかも。

 悩ましいのはその原稿の締め切りが1月5日なのだ。今年のお正月休みはたいてい1月3日までの人が多いようで、その編集部も4日か5日から始まるらしい。4日から書き始めればできないこともないが、なんとなく気分的に原稿のことを気にかけながら年越しするのは嫌なので、できるだけ年内にすませておこうと決め、来週前半にがんばることにした。

 明けの4日5日とかの締め切り原稿って、結局はこうやって自分の中では年内の締め切りになってしまうことが多い。担当者に送るのは年明けだとしても、自分では年内にやっておく。2年かがりの仕事にするのはなんとなく嫌だとか、自分の中ですっきりして新年を迎えたいというような、ただただそれだけの理由なんだけど。もしも何かの事情で予定が狂ってしまったら、仕方ないからお正月に書くのだろうが、今のところそれをしたことはない。他の人はどうやっているんだろう。

 年末年始のいっさいの行事を無視すれば、年越しながらのんびり原稿を書くのもときにはいいかもしれないな。でも小市民の私はどうしても(それに一応主婦だし)、年内に大掃除をしなきゃとか、元旦にはのんびりおいしいものをつまみながら年賀状を読んだりしたいなとか思ってしまう。ただ穏やかな新年を迎えられるように、あと数日、ラストスパートだ。

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2005年12月15日 (木)

忘年会シーズン

 ゆうべはお世話になっている雑誌の編集部の忘年会に参加した。編集部のスタッフ以外にも、校閲さんや外注のデザイナーさんや私のようなフリーのライターやエディターも多く参加していて、居酒屋を貸し切り。掘りごたつ形式の板間と椅子席があって、40人くらい入れる手頃な大きさの店だった。私の座ったテーブルには、奇しくもライターやエディターが4、5人集まっていた。仕事をしている雑誌は同じでも、フリーのライター同士って、担当ページが違えば普段はなかなか会う機会がないので、ほとんど初めて顔を合わせる人ばかり。それが、名刺交換をして、ああ、お名前は拝見しています、みたいな話になると、あとはもう共通の話題で話が進む(同業者って、やっぱりクレジットはよく見ているものなんだなあと再認識した)。書くページはそれぞれ違うが、担当編集者はけっこう共通している訳で、「あの人って、こうですよね」とか、「あの人って、こんな特技があるの知ってます?」とか、最初はもっぱら編集者の話題で盛り上がる。

 そのうちに、ある男性が「40代になってから、かっこいい50代になりたいと思い始めて、最近ダイエットを始めた。仕事はちゃんとしてきたけど、それだけじゃ不健康だ」という話を始めた。たしかに彼は丸くてがっちりした体型だが、いわゆるデブという感じではない。それでも40を過ぎたら以前と同じ食生活で運動不足だと肉がたるみ始めたという。30代の女子はきょとんとして聞いていたが、同世代の私にはよ〜くわかる話だ。その彼はダイエットを初めて1ヶ月めで4キロやせたらしい。がんばっている。

 その話を皮切りに、「たしかに仕事だけしていると身体に悪い」という話に一気に点火し、「いくら忙しくても楽しまないと、頭から出て行くだけで何も入ってこない(つまり、そうなるといい原稿が書けないということ)。だからできるだけ楽しめることを持つようにしている」とか、「でも、日本の美術館は閉館時間が早すぎて、仕事があるとなかなか行けない」とか、「そうそう、歌舞伎やお芝居も、開演時間が早すぎて、入れない」とか、気がつけば、日本には仕事もちゃんとしながら楽しめる娯楽がどんだけ少ないか、という話で盛り上がる。

 次に、もう一人のスリムな男性がやせの大食いらしく、いきなり、カレーのときにはご飯1合はフツーに食べますよねー、みたいな話をすると、そこからまたいきなり食べる話にスイッチし、それぞれ取材で1日に最高これだけ食べた、みたいな自慢話?に。とにかく、話題がぽんぽん変わって、そのたびにあーでもないこーでもないと話が盛り上がるのがおかしかった。ライターって、普段は人から話を聞き出す仕事が多いから、やっぱりおしゃべりというか、話すことは好き、なのかな。そのうちに宴会場の一角では編集者M氏のお得意の宴会ハンカチ芸とか、ダジャレクイズが始まり、微妙な盛り上がりで気がつけば席もシャッフルされてまさに宴もたけなわ。私はちょっと胃疲れで珍しくずっとウーロン茶を飲んでいたのだが、自分はお酒なしでも盛り上がれるタイプだったのだということを新たに発見した。忘年会シーズンは続く。

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2005年12月14日 (水)

簪(かんざし)と笄(こうがい)

 和楽のつまみかんざし職人さんの対談原稿を構成しながら、資料や辞書を見ているうちに、笄(こうがい)という言葉に何度も出くわした。かんざし(簪)と(こうがい)笄。どちらも髪を飾るものだが、違いはなんなのか。よく時代劇で、「母の形見のこのこうがいを......」と、娘が細長い髪飾りを握りしめて復習を誓うシーンがあるが(......?)、私はあの細いものもかんざしの一種だと思っていた。国語辞典によれば、かんざしは「婦人の結い髪に挿す装飾品」、こうがいも「日本髪に挿す飾り」という意味。しかし、こうがいにはさらにもう一つ、「髪をかきあげるのに使った箸のようなもの」という意味がある。
 こうがいは、全体的にかんざしに比べてボリュームや華やかさはない。わりとヘラのような直線的な形で、べっ甲や金属などで作られ、表面には彫刻などの装飾が施されている。調べてみると、もともとは、男女ともに髪をかきわけるのに用いた細長い器具で、形は、一方が太く他方が細いものと、一方が方形で他方が細く丸いものがあった、ということらしい。つまり、こうがいは、ヘラのほうな細長い形があくまで基本形のようだ。
 なんでこうがいが気になったのかといえば、先日国立博物館で日本刀をあれこれ見たとき、刀にもそのこうがいなるものがついていたのを見たから。刀につけているということは、こうがいは小刀のような武器なのかと思ったりしていたのだ。でもそうではなく、もともと男性にとっても髪をかきわける櫛のようなものだったわけだから、刀のさやにそういう櫛を挿して携行した、ということらしい。つまり、武士の身だしなみの一環だったわけか。今だったらさしずめ爪切りとか毛抜きとかがコンパクトに治まっているアーミーナイフ、みたいなものか???
 現代の男性が背広の胸ポケットからさっと櫛を取り出すように(そんな人も、もう少ないかもしれないけど)、武士は刀からこうがいをさっと取り外し、髪を整えていたのかも。ある意味こういうのもきっと、戦がなくなって平和になり、本来は武器である刀の装飾性が増していった時代ならではのことだったのかもしれない。......原稿書きをしながら、そんなことを調べたりして脱線をしてしまうことも多い私です。

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2005年12月12日 (月)

やっぱり需要が......?

 1週間前、重度の靴擦れで靴が履けなかったと嘆きのブログを書いたが、おかげさまで傷も癒え、数日前から革靴も履いて、ふんふんふふん〜と猫村さん状態。そんなとき、朝日新聞の土曜日版be の「これは使える」のコラムが目に留まった。そこにあったのは、コンフォートシューズなるもの。履いたり、ツッカケたり自在にできるシューズだという。

 記事によれば、寒い冬にちょっとそこらを歩くときに、なかなか手軽な靴がないという。履くのが面倒でかかとを踏むと歩きにくいし靴が傷む。かといって履きやすそうなかかとの浅い靴では、寒いし歩くのが心もとない。ところがこのコンフォートシューズは、普通の靴のようにも履けるし、かかとを踏んでサンダルのようにも履ける形になっている。ちょっとツッカケてコンビニまで行ったり、ちゃんと履いて出かけたり、まさに気軽に自由に履ける。......という靴なんだそうだ。な〜んと、まさにこないだの私のような悩みを解消してくれる靴じゃああ〜りませんか。あ〜ん、1週早くこの記事が出ていたら、わたしゃすぐに電話してましたよ......まあ、すぐ入手できたかどうかはわからんけど。

 高密度ウールと皮革の組み合わせで高い保温性を確保しているらしく、写真を見ると、表面はヌバックのようにも見える。で、かかと部分がやわらかい1枚革みたいになっていて、そこを靴の内側にぺたりと折り畳むような感じにして、踏んで履くこともできるというわけですな。写真は茶色だけしか載ってなくて、やっぱりややカジュアルな感じだけど、もしこれで黒もあるなら、取材のときでも履いて行けそうな感じ。また靴擦れでフツーの靴が履けないときには重宝しそうだ。って、しょっちゅう靴ズレているワケじゃあありませんが、それでも、これは使えるよー、と私の心にはけっこう食いつきました。必要は発明の母というけど、発案した人は靴擦れで難儀していたのかも......てなことまで思ってしまったくらいで。靴擦れで靴が履けなくて困っている人の需要もあるはず。って、そんな人、そんなにはいないのだろうか。とにかく、別の意味でもコンフォートなシューズといえるかも......。米コロンビア社の「ランズダウン」という靴だそうです。

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2005年12月11日 (日)

体力勝負

 文楽東京公演に行ってきた。今月は初心者向けの鑑賞教室も含めて3部あるのだが、まずは夜の本公演を鑑賞。今回も東京はチケットがなかなかとれなかったらしく、席はほとんど満席。ぽつんぽつんと空いている席はおそらく、当日になって風邪とかよんどころない理由で急に来れなくなった人の分だろう。私の隣も、開演1時間前になって、やっぱり行けないと連絡してきた友人Bの席がぽっかり空いていた。朝から胃痛で、夕方には治まると思っていたがついにだめだったと、泣き顔マークのメールが送られてきた。

 彼女は食関連の雑誌の編集者。次号のパスタ特集の取材で毎日お店でパスタを食べ続け、それが10日間連続して続いたせいで、ついに胃が悲鳴を上げてしまったらしい。それも、無事に全部の取材が終わった後にイタくなるんだから、さすがというか、この業界人の悲しい性というか......。私も数年前にアイリッシュ・パブ特集の取材でギネスビールを毎日のように飲み、フィッシュ&チップスとかビーフギネス(牛のすね肉をギネスビールで煮込んだもの)やらラム・シチューやらを食べ続け、取材が終わった頃にやっぱり胃を壊して数日ご飯が食べられなくなったことがあった。取材期間は気がはっているから持ちこたえるが、一段落したり原稿を出し終わったとたんに風邪を引いたり、とかも。

 仕事で毎日おいしいパスタが食べられてうらやましい、と思う人もいるかもしれないが、そんなに甘いもんではない。お店の人が作ってくださったものを適当に残す訳にもいかないし、たとえ好きなものでも毎日続くとほんとにけっこう辛いのよ、これが。カメラマンのアシスタントさんがいる場合には、私はそういう若者たちにかなり助けてもらうのだが、それもいつもとは限らないし。

 だから私はグルメライターにはなれないと前にも書いたことがあるけど、グルメライターさんたちの強靭な胃腸はどんなふうになっているのか、内視鏡で見ると違うのだろうか。まあ、食だけに限らず、つくづく編集者やライターの仕事は体力勝負だと思う。こないだもライター仲間のY女史と久々に飲み、仕事の悩みとかグチをこぼし合いながら、「ライターのライフスタイルってのはそもそもヘルシーじゃない」という話が出たのだが、ほんとうにそう。基本的に時間は不規則だし、いろんな人を相手に仕事をするというのは新しい発見もある反面、思いがけないストレスになって疲れることも多い。そして作業はとことん孤独。時々、異業種の人などから、ライターに必要なものはなんですか? と聞かれることがあるが、私は、「体力です」と答えることが多いです。

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2005年12月 9日 (金)

愛知万博会場で熟成

 愛知県の知り合いのお味噌やさんから、お味噌が届いた。3代目として味噌屋をきりもりするご夫婦とは、数年前に某誌の取材でお会いして以来、公私ともに仲良くさせていただいている。

 ここのお味噌、『桝塚味噌』は、大豆と麹と塩だけで作られる「豆味噌」で、創業以来、木の仕込み桶を使って18ヶ月間の天然醸造にこだわるという昔ながらの製法を頑に守り続けている。「私らが味噌を作ってるんじゃない。桶と、桶や蔵についている微生物が味噌を作るんです。私らはただ、待っているだけ」というのがご主人の口癖。素朴な豆の味わいがしみじみとおいしくて、味噌汁はもちろん(二日酔い気味の朝にはこれがまた最高)、そのままきゅうりにつけたりしてもすごくおいしい。これまでにたくさんの友達にも紹介した。

 さて、届いた味噌というのは「愛知万博会場で熟成された豆味噌」なるもの。愛知万博の「遊びと参加ゾーンのグローイングビレッジ」というところに、こちらの味噌と味噌桶が出品展示されたそうだ。仕込みをした味噌を入れた桶をそのまま会場に展示して、開催期間中ずっと現場で熟成させたということらしい。”万博会場で熟成された豆味噌を味わってみてください”、ということで、小分けにしたものを送ってくださった。

 慣れ親しんだ蔵を飛び出して、半年間、愛地球博の会場で桶と味噌は何を見て、何を感じたのか。万博に行けなかった私は、万博会場で育った豆味噌の味噌汁をすすってその味噌の声に耳を傾けつつ、モリゾーとキッコロに思いを馳せている。

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2005年12月 8日 (木)

25年

 25年前のあの日、FENでやたらジョン・レノンの曲がかかるなあと思いながら支度をして大学へ行き、授業の後、ボーイフレンドと待ち合わせで近くの表参道交差点の富士銀行(いまはみずほになっているけど)の前へ走った。そこで、「ジョンが撃たれて死んだ」と聞かされた。一瞬、思考回路が止まったような気がして、そのままぷらぷらと歩いて彼のバイト先のビームスへ行った。「ジョンが死んだらしい」というと、ビートルズファンのスタッフが店内のBGMにビートルズの曲を流し始めた。あの当時はまだたしかカセットテープだったはずだ。毎年この日になると、あの富士銀行〜原宿のシーンを思い出す。もう25年か〜。

 私はビートルズエイジではないが、両親が共働きだったので、小さい頃から昼間は近所のおばちゃん(他人だけど)の家に預かってもらっていた。そこには私より10歳以上年上のお姉さんが一人とお兄さんが二人いて、そのうち上の高校生のお兄さんがもろビートルズファンだった。お兄さんがビートルズの新譜が出るたびに買ってきて毎日のようにステレオでかけていたので、私も幼稚園に入る前からビートルズを聴いて育ったようなものだった。英語を知らないのに、カタカナで読みがなを書き込んでいるお兄さんの歌詞カードを見て一緒に歌ったりもしていた。音楽的なことはよくわからなかったが、子供心にもジャケットの顔を見てジョージのファンだった。お姉さんのほうは当時シルヴィ・ヴァルタンとかを聴いていて、部屋にはたしかカトリーヌ・ドヌーヴのセクシーなポスターを貼っていた。そのおばちゃんの家には10歳くらいまでお世話になり、その後いまもずっと身内のおつきあいをさせていただいている。

 私が東京の大学へ行くことになったとき、上のお兄さんからビートルズのシングル盤を20枚くらいもらった。兄ちゃんはLPを持っているからもうシングルはいらないというので、それならと、私が引き継いだのだ。Odeonrecordsのマークが入ったドーナッツ盤。カタカナで「ノー・リプライ」とか「エイト・デイズ ア・ウィーク」と書いてあるジャケット。1枚330円とか370円だ。その後、自分でもビートルズ関連のLRやCDをいっぱい買ったけれど、いまもたまーにそのドーナッツ盤を出して、ちりちりした音を聴いたりもしている。くるくる回るドーナツの中で、Oo I need your love babe, と喉が詰まったような高い声で歌っていたジョン。天国に行ってもう25年か。ジョンも、ジョージももういなくなってしまったけれど、そのシングル盤はずっと私の宝物だ。



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2005年12月 7日 (水)

着ているものが醸し出すもの...

 「和楽」1月号、”今月の舞台”のところで、落語家柳家花緑さんのインタビュー記事を書いている。出来上がった雑誌を改めて見てみると、花緑さんの着ている着物の色の鮮やさが、とてもきれいに出ていた。長崎盛輝著『日本の伝統色』で見てみると、「青磁色」(うすい緑青)とか、「青碧」(にぶい緑青)という色に近いような、なんともいえない微妙な緑の色合いだ。こういう日本ならではの伝統色は現代の生活の中ではなかなか出会う機会がないが、着物や浮世絵などを見ると、昔の日本人がいかに微妙な色調を大切にしていたかがわかる。
 それにしても、さすがに花緑さんの着物の着こなしは堂に入っている。着物は噺家の制服だし、子供の頃から着慣れているのだから、あたりまえといえばあたりまえである。でも、やっぱり30代のいまどきの青年だから、普段はスリムなスーツなんかもかっこ良く着こなしていて、洋服姿で雑誌や本に登場することも多い。取材のときも、最初に着物姿で撮影をして、撮影が終わると着替えてもらってインタビューしたのだが、つい数分前とは打って変わってカジュアルなポロシャツ姿だったかラガーシャツ姿だったかで再び目の前に現れたとき、一瞬不思議な違和感を感じた。 
 着物姿の花緑さんはびしっとしていて精悍な感じ。同じ人なのに、ポロシャツの花緑さんの方が、ちょっと若くなった感じがして、なんとなくより親しみを感じられるような気がした。それは、私の中ではいつも高座で見ている花緑さんのイメージの方が強くて、見慣れていたからだろう。ただそれだけのことだ。同じようなことは文楽でもあって、いつも舞台で裃姿を拝見している太夫さんに舞台の外で偶然お会いしたとき、肌着のようなTシャツに黒い綿のパンツにベルトという、いかにもフツーのおじさんスタイルだったりして、ちょっとどきまぎしてしまうことがある。この場合は、どちらかというと「見なきゃよかったかも......」という感じだが、花緑さんの場合はぜんぜん逆で、なんか親しみが増したというか。
 いま、花緑さんはNHKの夜のドラマ『どんまい!』にレギュラー出演していて、サラリーマンらしき謎の下宿人を演じている。金縁眼鏡をかけて、いっつも背広にネクタイ姿で、ときどき妙に哲学的なことを喋って、たぶんサラリーマンなんだろうという感じだが、テレビで見るその姿は、高座の花緑さんの姿とは結びつかない、また別の顔だ。それは役者柳家花緑としてはウェルカムなことなんだろう。にしても、着るものから受けるイメージって強いんだなあ、ということを再確認する今日この頃。

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2005年12月 6日 (火)

靴が履けない

 週末に足に靴擦れができた。新しい靴を履いたときにはたいていできるので、いつものようにバンドエイドで処置して翌日も同じ靴を履いたら、夜になって急に痛みが激しくなり、帰って患部を見るとかなりの重傷。お店で買うときに履いてみたときはぜんぜん問題なかったのだが、長時間歩いていると、革の固さと私の歩き方のクセ?など、いろんな微妙な条件の複合作用で今回はかなりひどい水ぶくれになってしまった。しかも両足のかかとの内側。日曜日はバンドエイドの上に厚めのソックスで布のローカットのスニーカーを履いたにもかかわらず、重傷のほうの左は歩くたびにじんじん激痛が走る。たかが靴擦れ、されどもう拷問のような激痛ゆえ致し方なし。電車の中で左だけスニーカーのかかとをつぶして履く格好に変え、これで夫と上野の北斎展へ。上野公園の中を歩きながら、夫がぽつり。「その格好、なんか不良みたい」。不良妻の不良履き。だって、そうしないと歩けないんだもん。最終日の北斎展は案の定、超超満員で、人疲れ。

 昨日になっても左側の傷は治らない。オフの日はくたくたのスニーカーでいいとしても、困るのは仕事。昨日は午後一から新宿で差し入れ取材のインタビュー。そんなにラフな格好では行けない。革のスニーカーのかかとは固くてつぶせないし、薄いエナメルのローファーはあるけど、つぶして履くなんて、気分的に抵抗がある。迷った挙げ句に、かかとが細いストラップ状態になっている黒のパンプスがあることを思い出す。それでもストラップを装着するとちょうど患部に触れて超激痛なので、かかとが隠れるくらいのやや長めのパンツを合わせることにして、左はストラップをしないまま、”つっかけ”状態で歩くことにした。

 ミュール状態みたいなものだから、歩くたびにかかとがぴたぴたと足につく。新宿の雑踏の中をそういう格好で歩いているのは、やっぱりなんか、きちんとしていないというか、不良スタイルな気がしたけど、仕事には行かなきゃいけないし、それがいま考えられる中でのベストの対処法だった。取材場所へ着けば、インタビューは座った状態のままだし、歩く範囲も限定されているので、問題なく無事に終了した。カメラマンのN田さんに途中駅まで車で送ってもらって帰った。地下鉄の駅構内など人ごみの中を歩いていると、後ろから誰かにかかとを蹴られないか気になって、隅のほうをゆっくり歩いた。いんや〜、しつこい靴擦れ。こんな重傷は初めてだ。そろそろ治ってくれないと、靴が履けないよ。

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2005年12月 5日 (月)

感劇話その7 落語と文楽がっぷり四つ

 なにかとあわただしい師走だが、今月は文楽東京公演というお楽しみもある。でもその前に、先日、若手さんの自主公演を観に行ってきた。文楽の太夫・三味線・人形遣いのそれぞれの若手約10人の公演で、落語とのコラボレーションもある。場所は、江戸東京博物館の大ホールだった。

 文楽と落語のコラボは、前に志の輔の公演でも経験済みだが、これがけっこうおもしろい。志の輔は文楽ファンでもあるらしく、彼自身が義太夫を語ってみせたりしながら、その横で人形がお芝居をするというような構成もあった。今回の若手公演は上方落語の桂かい枝をゲストに迎え、かい枝が古典落語の「野ざらし」を話すそばで人形が動き、ところどころで噺家と人形のからみもある。人間と、その2分の1サイズくらいの人形とのからみも違和感はまったくなく、かい枝もなかなかの演技派で、楽しめた。まさに、”古典芸能の好取り組み”という感じ。それにしても、噺家さんは演技もうまい人が多いなあ。みんな表現力がとても豊かだし。まあ考えてみれば、落語は語りがメインで終始座ってはいるものの、ある意味演劇に近いようなところもあるもんね。

 純粋な文楽の演目も2つあり、さらに、文楽は初めてという人に向けての太夫・三味線・人形の解説付き。やはりメンバーが20代〜30代だからか、若い女性客の占める割合が高く、ふだんの国立劇場の本公演ではあまり聞くことのない黄色いリアクション(弾むような甲高い笑い声とか)も多かった。こういうところで文楽に興味をもって、本公演に足を運んでくれる人が増えてくれるのは、文楽ファンとしては大いにウェルカム。実際、今回、文楽未体験の友達を数人誘ったのだが、彼女たちも「すごくおもしろかった。今度は国立劇場で観てみたい」と、好感触だった。

 大阪や東京の本公演の合間に、こんなふうにこまめに自主公演をやっている文楽の若手さんは、ほかにもけっこういらっしゃる。自分たちで公演場所を探して交渉し、少人数のスタッフで、かつ小規模な舞台装置でできる演目を工夫して、必要な人形や舞台装置を文楽協会から借りて......少ない時間の中でそれらすべてを自分たちでまかなうのは、なかなか大変なことだ。今回の自主公演は、メンバーの中に知り合いの人形遣いさんがいて、今年の春先から場所探しの相談を受けたりと(なんもお役にたてなかったが)、ある意味、公演実現までの内幕を観てきただけに、そのご苦労がかなり身近でわかったし、それだけに、大成功に終わって私自身も嬉しかった。

 若手の公演だからチケット代は本公演の半額以下でお手頃だし、たくさんの人が気軽に文楽に親しんでもらえるような、こういう機会がもっともっと増えてくれたらいいなあと思っている。そのためには、もちろん本公演は大事だけれど、スケジュールも含めて、も少し若手が活躍できる今回のような公演を運営しやすい環境が整っていけばいいのになあと思う今日この頃だ。

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2005年12月 2日 (金)

ぽっかり青空

 最近ややダウナーモードが続いている。このまえ、駅のホームでぽっかりした気分で空を見上げたら、やたらに青かった。寒くなると白っちゃけた空が多いのに、このときはすごい青。何故だかいきなりふっと、数年ぶりに陽水の『青空、ひとりきり』が頭に浮かんだ。

楽しいことならなんでもやりたい

笑える場所ならどこへでも行く

悲しい人とは会いたくもない

涙の言葉で濡れたくはない

青空あの日の青空、ひとりきり

 陽水がこの詩を書いたときも、ぽっかりしたような気分だったんだろうか。陽水がこの歌を作ったのは30年前。27歳のときだ。『人生が二度あれば』なんて、24歳。陽水が出す数々の曲を知ったとき、私は中学生だったが、”こんな歌を作る人の頭の中は、どういうふうになっとるんやろか”と思いながら、すごいなあ、かっこいいなあと思っていた。かなり後になって、井上陽水という名前が本名だということを知った。本名は、陽水と書いて「あきみ」と読むんだけど。そのときも、はー、すごいなあ、子供にこんな名前をつけるなんて、親からしてすごいんやなあ〜と、妙に感激してしまったのを覚えている。

 昨日はタクシーに乗ったら、ラジオから『能古の島の片思い』が流れてきた。この曲も大好きな曲の一つで、車内で小声でいっしょに口ずさんだら、運転手さんに「お客さん、お若いのになかなか珍しい曲を知ってますね〜」といわれた。若くないよ、きっと同世代だよ。いや、運転手さんのほうが若いかも。というか、そういう運転手さんも陽水ファンなのね。なんだか今週は陽水について考えるウイークだったのかも。

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2005年12月 1日 (木)

お手軽散髪?

 ついに師走。朝の空気も冴え冴えとしてきた。最寄り駅の構内が以前から工事中だったので、エスカレーターができるのかなと思っていたら、このたび、ガラス張りのバーバー(床屋)が全貌を現した。10分で1000円のスピードヘアカット、らしい。おっどろいた。改札前のスペースが半分くらい狭くなっている。そんなことまでしてこんな床屋さんを作って、需要あるんだろうかと夫に話すと、「意外とわかんないよ〜。若いギャルがカットしてくれるかもしれないしさ〜」だって。そんな理由か。すると彼がさらに続ける。「だって昔、秋田(夫の故郷)にはバニーガールちゃんがカットしてくれる床屋さんがあったんだよ」秋田おそるべし。バニーちゃんに髪切ってもらうメリット......。まあ、こっちのはそんなことはないとは思うが、ギャルというのはなきにしも、かも。ちなみに、秋田のバニーガールの店はつぶれたらしいけど。

 今朝のテレビでも、地下鉄駅構内にお手軽ヘアサロンが登場、という話をやっていた。流行りなのかな。そちらは青山だから、まあ、電車を待つ間にちょいっと毛先をそろえて切ってもらったりするくらいはいいかもしれない。飲み過ぎて寝過ごしてシャワーを浴びられないまま仕事に出てきた日なんかは(滅多にそんなことはありませんが......)、もしも、ひょっと時間があいたらシャンプー・ブローとか、意外と使っちゃったりすることもあったりして......。その地下鉄のヘアサロンは圧倒的にOL対象という感じだけど、うちの駅のはもろにバーバー、床屋さんって感じだ。10分で1000円というのが安いのかどうなのかも私にはよくわからない。それにスペースはほとんどガラス張り。改札を抜ける人の視線をもろに浴びながらヘアカットしてもらう気持ちってどうなんだろう。オープンは5日らしい。

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