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2005年11月30日 (水)

目が覚める

 ゲラ校正の戻しも終えて一段落したので、前から楽しみにしていた「ワダエミの衣装世界」を観に行ってきた。場所は青山・梅窓院のホール。昔からあるお寺だったが、いつの間に改築されたのか、モダンできれいな本堂とホールができあがっていた。

 ワダエミさんは、黒澤明監督の『乱』でアカデミー賞コスチュームデザイン賞を受賞したことでも知られる世界的な衣装デザイナー(関係ないけど、ダジャレ名人の和田勉さんの奥さん)。最近では、チャン・イーモウ監督の映画『LOVERS』や、舞台『浪人街』ほか、大活躍の人だ。展示されていたのはその2つの作品のほかにも、映画『HERO』(チャン・イーモウ監督)、オペラ『マクベス』(野田秀樹演出)、映画『夢』(黒澤明監督)などの衣装が100点以上。『LOVERS』でチャン・ツィイーが袖を振り振りしながら舞うあのピンクの衣装や、『夢』に出てきた巨大な雛人形の着物など、目の覚めるような美しい色彩のオンパレードだ。私が観ている横で、ウェディングドレスのデザインで有名なあの方も衣装に見入っていた。

 『HERO』の衣装は、中国で布地を染めるのに、現地の水が硬水で思うような染色ができず、試行錯誤の末にミネラルウォーターを使って納得のいく色に仕上げたそうで、特に赤は、これでいいと思えるまでにシルクの生地を200mくらい無駄にしたんだと。そうやってこだわってこだわって、その果てに作り出した色は、見るものを圧倒する存在感を放っている。でも、ものすごい労力と根気を込めて作られた作品であるにもかかわらず、威圧感や重苦しさはなく、どれもやさしく軽やかな印象で、素直にわあ〜、きれ〜い、と思える。そこらへんがたぶん、デザイナーとしての技術のすごさなんだなあと思う。もちろん、染めたり刺繍をしたりという職人さんがいっぱいいて、みんなの総力結集で衣装が出来上がってくるわけだけれど、コンダクターとしてのワダエミさんの力はやっぱり光っている。すごい仕事だよ、まったく。こういうアーティストとか職人の仕事って、ほんとうに尊敬に値する。憧れの世界だ。



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展覧会のパンフと、衣装の端切れで「エミブルー」と呼ばれる色

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2005年11月29日 (火)

朝こそしっかり

「pen_ates」第2号が届いた。今回の差し入れ連載は、女優でモデルの田村翔子さんに出てもらっている。差し入れ商品のグレープフルーツゼリーも超おいしくて評判だったが、さらに編集部内で評判だったのが、田村さんの写真の美しさ。お子さんもいるのにお肌つるつるで、素肌っぽい輝き。服装も至極ナチュラルでいてなんともいえない美しさがある。取材時にも感じたけれど、写真になって再びしみじみ。内面からにじみ出るというのはこういうことなんだなと改めて実感した。

 特集は、ヌーヴェル京都。ここは今回は私は書いていないが、最初に全体をぱらぱらと見ていると、京懐石の「近又」が出ている。私も今年の2月に別の雑誌の取材でこちらを訪れた。そのときは、朝のドライブで食べられるおいしい朝食の店という特集だった。「近又」はボリュームたっぷりの京風和定食の朝食が人気で、観光客もわざわざ朝食を食べにくる。名物のだし巻きは、お客さんがご飯を食べ始めたのを見届けてから巻き始めるので、いつもあつあつ。ひじきや豆の”たいたん”(炊いたもの)、半乾しのカレイにちりめん山椒、おばあちゃん手作りの梅干しなど、写真を見ると、2月に取材したときとほとんど変わらない定番のおかずが並ぶ。なつかしくて、また食べたくなった。

 もともと江戸時代に近江の薬商人の常宿として栄えた店であることから、ご主人は今も、”朝からしっかりと食べて仕事に行きましょう”という思いでご飯を作っているそうだ。たしかに、朝からしっかり食べるって大事。このところ、ついつい布団から出るのがおっくうになって、朝食も超簡単ですませがちだったが、やっぱりちゃんと食べなきゃなあと、ふっくらのだし巻きをみつめながら思った次第ですわ。そういえば、取材のときはここに宿泊もしたのだった。夕食に出た鯛のかぶと焼き、絶品だったなあ。木のお風呂に入ってしっかり癒されて、お土産に自家製の昆布のつくだにとちりめん山椒もいただいた。ご主人の治二さん、元気やろか。「近又」は錦市場からすぐ近く。昔ながらの京都の町家の建物が味わい深くていい。写真は「近又」が創業200周年を記念して作ったカタログみたいなもの。写真集みたいにきれいです。

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2005年11月28日 (月)

時代に逆行.....?

 先週、iBookでワードを使えるようになり、毎日のように編集部に原稿を送った。どこも特に問題はなかったが、某誌だけが、ファイルが開けなかった。結局、ワードの添付でもテキストファイルの添付でも開けず。最終的にメールに流し込んで無事に入稿していただいた。

 「いつも問題ないのに今回はどうしたんですか?」と担当編集者から聞かれて、「最近、マックに変えたもんで......」と答えると、「え〜、そんな時代に逆行したこと、やめてくださいよ〜」と一笑されてしまった。その編集者によれば、その会社のPCはすべてそうで、マックのワードで作った原稿を開ける機能がない、らしい。だから私だけでなく、マックのワードの原稿の人はすべてメールに流し込んでいるそうだ。彼自身が自宅で使っているPCでは、問題なく開けるらしいが。

 それにしても、今になってマックに変えるというのは、出版界では時代に逆行しているの? それとも、ソフトがワードだからいけないの? JDITならいいの? よくわからん。

 メールも、ほとんどのウィンドウズの人とは問題ないけれど、ついに週末に一人から、文字が化けて読めない、と連絡が来た。彼のPCの場合、私以外でもやはりマックから送られてくるメールは化けるらしい。こういうのはどうしようもないことなんだろうか。新しいコンピュータを買って、いろんなことが便利になって生活が楽しくなるべきもの、のはずなのに。もっとシンプルにみんなが便利になれればいいのにな。

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2005年11月27日 (日)

ヌーヴォーを、オールドフレンドと。

 原稿入れも一段落したので、やっと件のスーペリアなるヌーヴォーを味わう機会がやってきた。メンツは、ヌーボー調達者の青年(中年)実業家Tイチくんと、一級建築士のYヨシ君。なじみのパスタとワインのお店に持ち込ませていただき(ありがとうございました)、そこのマダム件ソムリエのキコさんも一緒に味見してもらった。

 感想は、正直いって、誰もが予想以上のおいしさだった。ボジョレーヌーヴォーって、要はできたてなわけだから、フレッシュでジュースみたいな味のイメージが強い。しかし今回いただいたのは、ちゃんとワインの味がした。注いでいるときからして、色がフツーのヌーヴォーよりも濃い目だし、雑味も少なくまろやかでいて、喉を通った後に口の中にしっかりとぶどうの味と香りが残る。キコさんにも、シェフのヨースケさんにも好評だった。お祭り気分だけでなくほんとにおいしさが楽しめるヌーヴォーは、私は初めてだったな。ラッキー。

 一緒に飲んだ二人は、それぞれ小学校と中学校からの同級生。高校卒業後、30代半ばくらいまではろくに連絡も取り合っていなかったが、十数年ぶりに再会してからはちょくちょく会って飲んでいる。この日は、Yヨシ君を中心に、いま何かと話題の建築業界の話でやたら盛り上がった。このお店では以前にもミニミニ同窓会みたいなことをやらせていただいたのが、お店の人から見ると、いつもすごく仲良しに見えるらしい。くだらないことばっかり話しているだけだけど、でもそういわれるのはなんか嬉しい。結局、ヌーヴォー1本とおすすめの”本当のワイン”を1本いただき、男子二人は最後にマールも飲んでいたけど、私は翌日取材もあったのでコーヒーで自重。でもけっこう酔ったかも。ヌーヴォーがおいしかったのは、同級生との気持ちいい会話のせいもあったのかもな。

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2005年11月26日 (土)

つまみかんざし超キレイ

 和楽の取材で、つまみ簪(かんざし)職人さんに会ってきた。つまみかんざしとは、珊瑚やべっ甲で作るかんざしとは違い、染色した絹の布地を小さくカットしてそれを折り畳むようにしながらピンセットでつまんで小さな花びらの一片みたいなものを作り、それをたくさん組み合わせてお花や蝶の形を作るという、コサージュのような飾りかんざしのこと。主に舞妓さんのかんざしや、七五三のときの着物姿に合わせてつける女の子のかんざしを作っているが、まったく個人からの注文も受けているそうだ。江戸時代から始まったもので、いまは全国に15人しか専門の職人さんがいないらしい。そのうち大阪にいる職人さんは、文楽人形の娘さんや姫のかんざしも作っているとか。

 今日お会いした方は三代目さん。たぶんほぼ同世代だ。先代(まだ現役)や先々代の作品も見せていただいたが、絹の布地だけで、四季折々の風物を、すごい豪華なオブジェというか飾りに作り上げていて、どれもため息がでるほど美しい。大正〜昭和前期に活躍された先々代の作品でも”打ち出の小槌”とか、”波に千鳥”とか、すごくアバンギャルドで独創的なデザインも多い。いまの三代目さんも、着物の柄やら絵画やら、日頃からいろんなものを見てデザインの参考にしているそうだ。

 舞妓さんがつけるようなものは無理としても、自分でも着物を着たときに(いまは数年に一回くらいだけど)つけたいな、と思うカジュアルなかわいいデザインのものもあった。すごく手が込んでいるので、七五三用のかんざしでも数千円。舞妓さんレベルになると数万円、数十万円だ。にしても、三歳くらいのガキん子ちゃんが、こんなかんざしをつけるのかと思うと、なんか贅沢だなあとも思ってしまった。そういえば、義理の弟のところの娘が今年三歳で七五三だったことを思い出し、もう少し先に知っていればプレゼントできたのに、とか思ったりして。とにかく、とっても繊細できれいなかんざし。自宅兼工房に、平成5年からミニ博物館を作って、玄関くらいのスペースで作品展示をしていたりするので、お時間とご興味がある人はぜひぜひ訪れてほしいです。「つまみ簪博物館」。高田馬場駅から徒歩3分、開館は水曜と土曜です。

 毎年夏からは七五三用のかんざし作りで大忙しらしいが、最近では、記念写真だけを先に(10月中とかに)撮る人が増えていて、その分、忙しさが前倒しになっているのだとか。そんなこともあるんだ......。私はたしか七五三はやったけど、着物は着なかったなあ。あんな素敵なかんざしをつけて七五三をやってもらう子は幸せものだとつくづく思う。博物館に、小さな飾りがカゴに入っていて「プレゼントです。ご自由にお持ちください」とあったので、いただいてきました。


 

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2005年11月25日 (金)

お土産めぐり

 午後、やっと原稿書きが終了。A誌とB誌の編集部に原稿を送った。B誌のほうの最後のページを書いているとき、同じ特集内の原稿でおととい送ったページのゲラがファクスでガーっと流れてきて......なんか追っかけられてる感じだったけど、相変わらずゲラになるのが速いこと。

 B誌の記事は、外国のお土産についてそれぞれの国の”目利き”的人物に話を聞くというもので、パリやらニューヨークやらミラノやら、それぞれの都市に長く住んでいたり、仕事でしょっちゅう通っていたりする達人たちに取材。7都市7人に話を聞いて原稿にまとめていると、ちょっとした海外旅行気分にもなった。でも次の瞬間、しばらく行ってないなあ......と、ちょっと寂しい気分になったりして。

 お土産といっても定番的観光土産という感じではなくて、それぞれの目利きの人の感性で選んだ独断と偏見に満ちたものだから、一人一人の個性が出ていてなかなかおもしろかった。だけど、その地に長く暮らしていたりする人は、改めてお土産といわれても、なかなかすぐには思い浮かばなかったりしたみたい。それもわかる。

 おもしろかったのは、オランダの話を聞いた人が、「あの定番の木靴、庭歩き用にと思って買ったんだけど、重いし、歩きにくいし、結局お蔵入りにしちゃった。あれはおすすめできないお土産です」といったこと。私も数年前に初めてオランダへ行ったとき、あの木靴を買った。そしてそれは、その後数年間、まるで巨大なペーパーウエイトのように押し入れの古本の上にのっかったままだ。

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2005年11月24日 (木)

原稿書きのお供

 今日も原稿書き&原稿送り。マックを快調に(?)操って、鼻歌混じりの余裕も出てきて、もう猫村さん状態、なーんてね。でもまあなんとかやっている。昨日から、トイレとお風呂とご飯以外はほとんどマックの前にはりつき状態で、運動不足というか歩行不足。当然ずーーと座ったままなので、昨日は夕方から夜中にかけて脚がムクんでぱんぱんに。思わず今日は昼間、気分転換に駅前のスーパーまで買い物に行き、ドラッグストアにも寄って、脚の疲れやムクミを緩和するソックスを購入。帰宅後すぐにそれを履いて、また机にずっとはりついているけれど、おかげでいまも(23時過ぎ)ムクミなく、ふくらはぎも軽い感じ。このソックス、これから家で仕事するときの必需品になるかも。

 ほかに原稿書きのお供といえば、私の場合は、BGMと、紅茶かコーヒー。休憩のおやつは甘いもの(たとえばチョコレート)とからいもの(たとえば胡麻せんべい)をほどほどに。とはいっても、締め切り時間が迫っているときは当然そんな余裕もないけど。BGMはとぎれなくよくかける。最近は、朝のスタート時にはJackJohnsonがなんとなく穏やかに滑り出せる感じがして、最初はいつもそれだ。今日は何枚CDかけただろう。先日、CDショップの均一1200円セールかなんかで、昔のジム・クロウチとカーラ・ボノフのベストを買ってきたまま、ぜんぜんかけてなかったので、出してきて聴いてみたら、なーんかなつかしくて、思わずキーボードをたたく手が止まってしまった。U2とかDef Techとかは、かけると一緒に歌い出してしまうし。でも、そんなに脱線しているというわけでもないんだけどね。作業がぐんぐんはかどるBGMって、どんなのがあるんだろう。

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2005年11月23日 (水)

あらら、できちゃった!

 数時間前に i Bookでワードの書式設定ができない、と書いた。ところが、ブログを投稿し終わって、再度ダメもとでワードを開いてやってみたら、なんと、できてしまった! ヘルプを出して、文字数と行数の設定、みたいなことを検索してみたら、ちゃんと出てきました、丁寧な手順が。それで、すぐやってみたら、これまでに見慣れたワードの設定画面が登場して、あらら、できちゃった。びっくり。こんなこともあるんだ......というか、使えなーい、と書いた指先の脂も乾かぬうちに、なんと、使えてしまいました。ふざけているんじゃありません、ほんとーにほんとーに、さっきこれを書いているときは、できないことだったんです......。いやあ、どうしてこんな素直なことが、今までさんざんできなかったのか、そっちのほうが超疑問、いまとなってみれば。まあとにかく、よかったよ。

 さっそくマックのワードで原稿書いて、さっき1本編集者に送ってみました。保存も添付もできました。今日はこれまでに原稿2本送ったけど、最初のはウィンドウズで作った原稿、2本目はマック。信じられないけど。ほんとにできた。でもまだ完璧じゃなくて、わからない部分も多々ある。使いこなせてはいない。でも、とりあえず1歩前進。さらにがんばります。ゾウガメのペースで。しかしほんとに私、なにやってんだろ。

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iBook G4 格闘中

 けっこう前に、iBook G4を購入した。初めてのPCは出たてのウィンドウズ98だったから、パソコン歴8年目にして初めてのマックだ。デスクトップ型と小型のノートPCと、ずっとずっと何代かウィンドウズを使い続けてきたのになんで今さらマック? といろんな人に聞かれたが、つまるところは、なんとなくというしかない。数人のデザイナーやイラストレーターをのぞいて、つきあいのある出版社の編集者のコンピュータはほとんどがウィンドウズなので、ワードで原稿を送るほうがスムーズなのはわかりきっている。でも、なんとなく、以前から一度はマックも使ってみたいなと思っていたことは事実だった。

 それって、40歳になって「やっぱり運転免許は取っておこうかな」と思って教習所に通い始めたときの感覚と似ているかもしれない。高校生や大学生に混じって、教習所に通ってあたふたするおばさん一人。そうだった、なんで今さら、といわれながら仕事の合間に教習所へ通い、マニュアルに挫折してオートマ専用に変更し、フツーの人の何倍も時間がかかってようやく免許取得。あげくの果てに今やほぼペーパー状態.......今回も、似ているといえば似ている。買ってからしばらくの間はなかなか使えなかったし、いざ使おうとすると、初歩的な設定からしてほとんどわけわからず、そんなことしているうちに次の原稿締め切りが迫ってきて、結局は使い慣れているウィンドウズのノートほうで仕事をしている、という日々が何日も続いた。

 それでも何日か暇になったときに、見よう見まねで設定したら、なんと自力でメールとインターネットが使えるようになった。私にしては快挙だ。このときはちょ〜嬉しかった。だから、このブログもマックを使って書いている。でも、原稿書きがまだいまいち。購入時にワードとエクセルとパワーポイントもインストールしたにもかかわらず、いざワードで原稿をやろうとすると、最初の設定からしてできない。たとえば、何字詰めの何行というページの設定のようなごくごく基本のあたりまえのことが、ウィンドウズとけっこう違うので、わからないことだらけ......。夫もマックは使ったことがないし、頼みの綱の義理の弟(システムエンジニア)も、ウィンドウズしか扱ったことがないというし......気がつくと、けっこう孤独。もちろん、マックユーザーの知り合いは何人もいて、一度見てあげるといってくれてはいるのだけれど、みんな忙しいし。こないだ一度、外に持ち出してデザイナーの子に見てもらったけれど、彼女もワードの最初の設定が結局わからなかった。「原稿ならワードよりもJ EDITのほうがラクだから、そのほうがいいですよーん!」といわれたりもして......やっぱりそうしようかな......なんていう具合に、あーでもないこーでもないと、いろいろ悩んでいる。 アップルストアに持って行けばすぐにいろんなことを教えてくれるみたいだけれど、なんだかんだ、やっぱり持ち運びにはけっこう重いので、それも二の足を踏んでいる。とにかく、まだじぇんじぇん使いこなせていない情けない状態。だから、今週の原稿書きもウィンドウズのノートでやっている。マックユーザーが知ったら、飽きれまくる話だよね。こんな、わけわからんユーザーのところにやってきた白雪姫(このiBookの愛称。私がつけました。)は、さぞかしやきもき、じりじり、じれったい思いをしているに違いない。もっと簡単に考えればいいのに〜、ってね。早くマックを楽しみまくりたい。

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2005年11月22日 (火)

ジンギスカンとパリ野郎

 今週は入稿が2誌あるので、昨日から家にひきこもりで原稿書き。のつもりだったが、昨日はなかなか気分が集中できず、結局、夕飯の誘いに乗って気分転換に外出した。中目黒でジンギスカン。ジンギスカンブームで今や中目近辺にも流行のおされ系ジンギスカンが4店舗くらいあるらしい。昨日は、山手通り沿いの店へ。ラーメン&餃子屋さんが2階ではジンギスカンを食べさせるスペースになっている。最初は、気分的には今日は肉はちょっと......と思っていたにもかかわらず、すりおろしたリンゴが入っているという自家製のたれがかなりうまくて、思わず箸が進んだ。生ラム肉、冷凍マトン、冷凍ラム......カルニチンの体内脂肪燃焼効果を期待しながら、お肉も野菜もがんがん追加。それにしても焼き肉のキャベツってなんであんなにおいしんだろう。

 肉食べながら、そういえば、なぜかこのジンギスカンの鉄鍋が小さい頃、うちにもあった、と私がいうと、なんと一緒にいた編集者Bも、うちにもあった! という。私の家では、子どもの頃、焼き肉といえばそのジンギスカン鍋で、煙が出るから必ず庭先に出てやっていた。60〜70年代当時の大分にそんなに羊肉が売られていたかどうかは疑問なので、肉は牛か豚だったのだと思うが。あのときも子ども心に、焼き肉のキャベツはなんでこんなにおいしいんだろうと思いながら食べていた。Bも子どもの頃、大分に住んでいたことがある。彼女の家もやはり庭先で、大きな固形燃料を使ってやっていたという。なぜだか高校に入った頃あたりからはもうすっかり庭で焼き肉をすることがなくなってしまったが、昔はジンギスカン鍋は一家に一つの調理器具だったのだろうか。それとも九州・大分の一部だけか?

 ゆうべの店には焼酎が数種類あったが、その中でフランス焼酎「パリ野郎」とかいう、見たことのないものを飲んでみた。フランス産の砂糖大根から作っている焼酎で、業務用のみ、一般には売られていないらしい。味はテキーラみたいな感じだったが、やっぱり砂糖大根だからサトウキビと近いのだろうか。ほんのり甘みがあってスキッとしているので、ジンギスカンには合うと思った。それにしても、ネーミングからしてちょっと時代遅れというかレトロというか。ラベルもボギーのような帽子をかぶった男性のシルエットで、これがまた60〜70年代の雰囲気だった。なんたって、「野郎」だもん。いまは言わないよね、なんとか野郎、とか。ばか野郎、くらいか。あとはトラック野郎? それだって古い......そういえば、BGMもプリプリとか稲垣順一とか80年代ヒット曲みたいのばっかりで、なんかいつの時代にいるのか一瞬わからないような店だった。家に帰って夫に話すと、夫は知っていた。「パリ野郎」は以前からある焼酎だという。ぜんぜん知りませんでした。まあ、たいしたことではないんだけど。でもやっぱりなんか不思議だよ。パリ野郎って。

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2005年11月21日 (月)

江戸筆の衝撃

 先日、いつもの「和楽」の対談取材で、明治から続く江戸筆職人の4代目、亀井さんにお会いした。材料といい、制作技術といい、1本の筆ができ上がるまでには想像以上のこだわりが込められているという事実を初めて知り、かなり衝撃を受けた。乱暴に言えば、筆というのはただ何かの毛をそろえて束ねて作るものだと思っていた。たしかに毛をそろえて束ねて作るのには違いないが、そり具合や長さの合わない毛を何度も何度も選り分けたり、毛の脂を抜くために丹念に煮沸したり、熱を加えて毛筋を延ばして脂分を浮かせたりと、完成させるまでに、じつに16〜17もの細かい工程を要する。

 材料選びからしても、昔の江戸筆は尾脇という、馬のしっぽの、それも生え際の部分の毛を使っていた。さらにその馬も、競走馬とかではだめで、長野から秋田までの農家で飼われていた馬でないと使えなかったんだと。それは何故かというと、その地域の農家の馬は、冬場に曲屋と呼ばれる母屋の隣の納屋で飼われて大事にされているので、毛先がきれいにとんがっていて、それが筆の材料に最適だったからなんだって。なんというこだわり方! さすがにいまはそんな馬の毛は手に入らないので、主に中国から輸入される羊の毛や、アメリカやカナダの馬の毛を使っているらしいけど。  

 「毛揉み」という工程では、籾殻の灰で毛を揉んで脂をとるのだが、これも籾殻の灰が固さが最適なので、いまも毎年秋になると関東一円の田んぼを走り回って1年分の籾殻を集めまくるらしい。その「毛揉み」はなんのために必要なのかというと、毛を籾殻の灰にまぶして揉むことで、表面に浮いた脂がとれて、人間の髪でいえばキューテイクルの部分に傷が つき、そのことで墨の含みがよくなるから、なんだって。もうこんなふうにおもしろいこだわり話が続々出てきて、圧倒させられっぱなしの数時間であった。

 話に感動したこともあって、取材の記念に亀井さんの作った筆(もちろん練習用のリーズナブルなお値段の筆ですが)と、墨も一緒に買った。筆と墨を買うなんて、たぶん小学生以来のこと。亀井さんは筆の正しい持ち方や正しい筆時の書き方なども丁寧に教えてくれた。かつて小学生のときは書道3段までいった私も、いまじゃすっかりボールペン字慣れして、筆字は超苦手。結婚披露宴の出席名簿に自分の名前をきれいな筆字で書けたらいいなあと、以前からひそかに憧れていたことも事実だ。せっかくこだわりの江戸筆を手に入れたのだから、これからはちょっと練習して、ちっとはましな筆字が書けるようになりたいなあと。それに、きれいな字はすぐには無理だとしても、亀井さんのところで試しに筆で字を書いてみて、ただそれだけなのに不思議と心が落ち着いて、熱中してしまった。墨を擦って筆で字を書くという作業には、なんだか癒しの効果もあるみたいなのだ。だからリフレッシュのために墨と筆で字を書くだけでもいいかなと思ったりして。

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2005年11月18日 (金)

ヌーヴォー解禁の日にノヴェッロ

 ボジョレーヌーヴォーが解禁。同級生の青年(中年?)実業家Tイチ君から、「スーペリアなヌーヴォーが届いているので、近いうちに飲まない?」とのメール。私はこれまで、取材したことこそあれ、個人的にはそんなにボジョレーヌーヴォーに興味があるほうではなかったが(きっとよくわかっていないんだと思う)、なんだか今年は近年まれにみるいいデキだという話が、事前にあっちやらこっちやらから入ってきていたので、なんとなく気になっていたところだった。それだけに、楽しみ〜。数日内にたぶん味わえる、はず......。

 解禁の昨日の夕飯は、仕事のロケハン試食でイタリアンレストランへ。そこにはイタリア版ボジョレーヌーヴォーといわれるノヴェッロ(新酒)があった。ので、それを飲んでみた。お店のメニュー書きによれば、ノヴェッロはヌーヴォーと違って、1種類ではなく数種類のぶどうの品種をブレンドするのだとか。なんだかんだ3種類のノヴェッロを飲んでみた。やっぱり若いというかみずみずしさのある味。そして、ブレンドだからか、どれもけっこうまろやか。でも、バルベーラを使っているものは、やっぱり酸味が強かったな。

 以前、イタリアのワインメーカー、ブライダ社の女社長、ラッファエラ・ボローニャさんにインタビューしたことがある。彼女のお父上は、かつて、酸味が強すぎてとてもおいしいワインにはなれないといわれた品種、バルベーラ種を技術開発によってまろやかで上品な味にすることに成功した人で、”農民のバルベーラ”を”貴婦人のバルベーラ”に向上させた立役者とされている。以来、ラッファエラさんが2代目を継いだ現在も、ブライダ社ではバルベーラを扱ったいくつかの人気高級ワインを作っている。その取材のあとのレセプションで飲んだバルベーラ種の赤は、たしかにまろやかで上品な味だった。でも、ゆうべ飲んだノヴェッロで、やっぱりバルベーラはもともとかなり酸味のきつい品種なんだなあと改めて実感。まあ、あの酸味が大好きという人もいるしね。

 昨夜、一緒にいたのは友人の編集者B。今月末に出る「pen_ates」が校了してやっと一段落かと思ったら、もう次の号のためのロケハンをやっているというわけで、どう考えても隔月刊とは思えないほどの忙しさだ。B嬢は特にこれまでの疲れもあるのか、それともお互い歳のせいか、ともに3杯くらいでそろそろいいかなという雰囲気。クリーム系のパスタをいただいたせいか、お腹ももうかなりいい感じ。とか思っていると、遅れて30歳の姫が乱入。ボジョレーヌーヴォーを味わう会に参加してきたらしく、すっかり上機嫌。既に3杯以上はぜったい飲んでいるはずだが、さらにまたノヴェッロをオーダーし、まだあんまり食べてないからといって、パスタとサラダとトリッパの煮込みなんぞをがんがん食べて、パンもばくばく気持ちいいくらい食べていた。やっぱ若いってすごいわ。

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2005年11月16日 (水)

寒空の下でも元気

 11月15日はサーヤの結婚式の日。奇しくも、うちの両親の結婚記念日でもある。サーヤの慶事のおめでたい光線がこちらまで波及してくれたのか、私にもいいことがあった。差し入れインタビュー取材のアポがほぼとれそうになったのだ。前回の苦戦を教訓に、今回はとにかく早め早めに進めていて、それでもなっかなか決まらなかったのだが、今日(15日)、ついにほとんどフィクスしそうになった。いい兆し。嬉しくて、家事の皿洗いもついつい猫村さんのように鼻歌混じりになってしまった。あとはヘアメイクとスタイリストの折り合いさえちゃんとつけば、晴れて取材決定である。最後のツメをがんばらねば。

 しっかし、いきなり冬本番みたいな寒さである。うちのベランダでは、こんなに気温が下がってきているにもかかわらず、まだハイビスカスが毎日花を咲かせてがんばっている。ハイビスカスの花は普通なら1日でしぼんでしまうものだが、気温が低くなって成長の速度が遅くなっているのか、最近咲く花は、二日間は花が開いたままで、咲き続けている。なんか健気な感じで、見ていていじらしくなってくる。

 そしてもう一つ、がんばっているのはバジルだ。今年のバジルはなぜか、種をまいてもなかなか芽を出さなかったのだが、あきらめかけた頃にひょいっと芽を出し、その後はあれよあれよという間に、まるで「ジャックと豆の木」の豆の木のように幹が太くなり、生い茂ってしまった。それも、種をまいた2つのプランターのうち片方だけがそうなり、もう一方は結局雑草が生えてきただけ、という謎に満ちた顛末だった。生い茂ったほうのバジルは、ちょっと見にはまずバジルとは思えないくらいの枝分かれ状態だ。このプランターにはもともと数年前に、ご近所に住む飲み悪友編集者Tグッチからプランターごと分けてもらったレモングラスが生えていた。しかし去年、レモングラスを枯らしてしまい、そこに今年、新たにバジルの種をまいたのだ。以来、うちではそのプランターをグッチ鉢と呼んでいたのだが、そのグッチ鉢にまいたバジルだけが鬼のように茂ったというわけで......まるで、体育会系でいくら飲んでも食べても倒れない強靭な胃と肝臓をもつ男Tグッチの気が乗り移ったかのような、養分もりもり? のプランターなのかもしれないのである、グッチ鉢は......おそるべし。

 そんなわけで、そのバジルもこの寒空の下でま〜だまだ元気に緑の葉を茂らせている。いつまでがんばってくれるのか。毎朝特にハイビスカスとバジルの様子が気になる今日この頃の私。

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2005年11月13日 (日)

入稿→ゲラ超特急

 木曜日に送った「pen」の原稿が金曜日にはもうゲラになって出てきた。でもって、月曜にはゲラ戻し。12月1日売りだから考えてみれば進行はそんなものか。にしても速い。数年前までは原稿を送ってからゲラまで数日はあったが、PCが普及してからは本当に超特急になった。今回の原稿は短いから時間もそんなにかかってはいないけれど、ものによっては何日かかけてあーでもないこーでもないと考えて、何度も書き直したりしてやっと完成させた原稿が、一晩とか数時間でするするとゲラになって出てくると、それはそれでなんとなく寂しいというか、あっけないというか、私のあの時間は何だったんだろうなというような不思議な気分になるものだ。
 まあ、進行のうえでは便利になることは当然いいことだし、入稿からゲラまでの時間が短縮されるということは、それだけ原稿を出す時間をぎりぎりまで待ってもらえるという(こちら側にとっての)ありがたい状況でもあるわけだけれど.......。ただ、書いているほうとしては、関係ないと思いつつも、なんとなくちょっとぽっかりした気分になったりもする。だからって、イヤだっていっているわけじゃないですよ。すごーく一方的な感情について書いてみただけ。こういうのって私だけ? ほかのライターさんはそんなふうに思ったりはしないものなのだろうか。
 てなわけで、この週末にのんびりゲラを読もうと思っていたら、不覚にも風邪ひき気味になってしまい、結果、土日の大半は横になって過ごしてしまった。昨日は東京でも木枯らし1号がふいて、いよいよ本格的に寒くなってきているから、これからはますます用心せねば。鳥インフルエンザも脅威だ。
 数日前、沖縄にはまる男について書いたが、その後、思いがけず数人の方々からメールをいただいた。内容は、"私も、僕もはまっています"、というものだった。カメラマンのN田さんは、「僕は醤油顔ですが、沖縄にはまっています」と、メールをくださった。N田さんには「和楽」や「ペンアテス」の取材でいつもお世話になっているのだが、そうだったそうだった、彼もこのところ沖縄にはまっている一人で、よく二人で沖縄の話もしたりしているのでありました。N田さんはダイビングもやっているので、陸上の沖縄だけでなく、海の魅力にもかなり魅了されている。
 陶芸をやっている名古屋嬢T田さんからも「私もはまりましたよ」とのメールが。そして、カメラマンといえば、毎月「和楽」取材でご一緒しているF岡さんも去年から沖縄フリークなのであった......。築地の某制作会社のギャル、ゆき嬢もたぶんそうだよなあ.......。この前は、たまたま沖縄にはまっている友達と夫の共通点がおもしろかったのでちょっと書いてみたわけだが、改めて周りをよく見渡せば、沖縄病にかかっている人は、か〜なりいる。これがブームということなんだろうか。みんなの沖縄病の進行状況を静かに見守っていくことにします。

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2005年11月11日 (金)

感劇話その6 カガミの恭子ちゃん

 10月から始まった朝の連続テレビ小説『風のハルカ』は湯布院と大阪が舞台。大分出身の私は同郷のよしみ(?)で第1回目をチェックしてみた。そしたら、湯布院・金鱗湖での結婚式のシーンで思わず目が画面に釘付けに。「き、き、きょうこちゃ〜ん?!」。幼稚園から高校まで同じ学校だった幼なじみの恭子ちゃんが出ているではないか! そ、そういえば恭子ちゃんは大分で小学校の先生をしながら、湯布院に本拠地を置く劇団に所属して、役者をやっているのであった。10年くらい前に渋谷のジャンジャンで公演があるという連絡をもらい、見に行ったこともあったんだ。湯布院を舞台にしたドラマロケに地元の劇団が参加していても不思議はない。参列者の役でほんの一瞬の登場だったけれど、私のトンボの目がたしかにあれは恭子ちゃんだ、とキャッチした。そうかそうか〜、出てるんだ。まだ役者さん続けてたんだ〜。しばし感激の私。結局それから、今日も出るかな〜と、毎朝森本直太朗のヨーデルのような声(主題歌を歌っている)を聞くようになってしまった。

 恭子ちゃんは、ハルカが通う小学校の先生役だった。その後も数回登場したが、ハルカが大人になった最近は、もう登場することはないようだ。だけど、ついついその後も『ハルカ』を見ている私。すると先日、携帯が鳴った。出ると、なんと恭子ちゃんではないか。また劇団が東京で公演をやるという連絡だった。9日と10日の2日間だという。9日は原稿書きがあるので10日なら行ける、と返事をした。こんな時期に東京公演? 小学校の先生の仕事は休んで来るのか? 詳しいことは聞けないまま、ゆうべ下北沢駅前劇場に芝居を見に行ってきた。

 原稿書きが結局、昨日の午後に終わったので、そのまま自宅から下北に向かう。三軒茶屋で電車を降り、そこからタクシーに乗って「下北まで」、と告げると、運転手さんが「本田劇場?」と聞いてきた。なんでも、クドカンが本田劇場で舞台をやっているらしく、さっきも三茶から女子を乗っけたんだと。クドカンにも心動かされるけれど今日は恭子ちゃんだ。19時開演に滑り込みで間に合うと、席はほとんど埋まっていた。出し物は、『白雪姫』を現代風にアレンジしたもので、この劇団の定番的人気演目を2001年9・11以降の世界にフィットするようにリライトしたものだった。恭子ちゃんはカガミの役だった。10年前にジャンジャンで見たときにも思ったことだが、あのおとなしかった恭子ちゃんが、舞台の上でこんなに大胆に演技して、大きい声を出すようになるなんて.......まだ信じられないような、不思議な気分だった。

 恭子ちゃんとは幼稚園の頃から仲良しで、小学生のときには学校が終わると毎日のように恭子ちゃんの家に遊びに行って、絵本や童話を読みながら、絵や漫画を書いて遊んだものだ。私はその頃、漫画家になりたかったし。恭子ちゃんは、生意気でませガキだった私とはぜんぜん違って、小さいときからおとなしくて控えめで、やんわりした笑顔がやさしい子だった。中学高校は同じクラスになることはなく、恭子ちゃんは理系だったので、話をすることもほとんどないまま、そのまま卒業して、大学時代にもあうことがないままだった。

 そんな私に、90年代になっていきなり公演の連絡をくれた恭子ちゃん。大学以降、彼女の人生にどんなことがあったのか何も知らないまま、芝居を見て別れた。それからは年賀状のやりとりが何年か続き、そしてまたゆうべ、数年ぶりの舞台。公演終了後、カガミの衣装のまんまでいる恭子ちゃんに花を渡して、ちょっとだけ話をしてまた別れた。夕飯でもと思ったけれど、劇団で打ち上げがあるというし、今日の朝イチの飛行機で大分に帰り、小学校の遠足の引率があるということだった。今頃は小学生と一緒にお弁当を食べているのだろうか。大分市内で学校の先生をしながら湯布院まで通って劇団の活動を続けるのはそんなにラクではないだろうに、でも舞台の上の恭子ちゃんは本当に生き生きとしている。芝居が大好きなんだろうなあ。今回はメールアドレスも交換したので、お互いのこれまでの十数年間の話なんかを少しずつのんびりとやりとりしたりしてみようかな〜と思っている。

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2005年11月10日 (木)

沖縄にハマる男たち

 夫のところに飲み悪友から「三線、聴かせてください」というような旨のひやかしメール(?)がきたらしく、私が彼の三線のことをブログに書いたことがばれてしまった。けっこう読んでくれているものなのね。そういえば、これもブログを読んでくれたからかどうかはわからないが、ゆうべ、盛岡にいる友達M君(同い年)からひさびさにメールがきて、「石垣島に行ってきた。えーとこやった。シーサーも海人シャツもみょーに気に入ってしまってマイブームかな」と書いてあった。
 東北の男は沖縄にハマるものなんだろうか。そういえば、夫もM君もけっこう顔が濃い。M君はどちらかというと白系ロシアという感じで、うちの夫はアイヌというかイタリア系というかアラブ系というか.......とにかく濃い。結婚式のとき、初めて会った私の友達には「ルー大柴に似ているね」といわれたし、今も初めて会う人からは「何人ですか?」と聞かれることも珍しくない。沖縄のヨーカンの洋さんからは「自分と似たようなものを感じる」といわれていた。
 昔、日本に大陸から弥生人が入ってきたときに縄文人は追い払われて北と南の端へ逃げて行ったという説があるらしく、それで北海道の人たちと沖縄の人たちの顔つきや体質が似ているのだといわれたりするが、夫やM君のルーツはどこかで沖縄とつながっていて、それで妙になつかしさを感じたりしてハマってしまうんだろうか。夫は首里城に行って門を見上げたとき、涙が込み上げてきたといっていた。前世で首里城の王に仕えていたりしたんだろうか。そういえば、私の前世はエジプト時代の天文学者(男性)なんだって。10年以上前に、ある霊能者というかUFOを呼んだりできる人に見てもらったらそういわれて、似顔絵も描いてもらったことがある。でも私はこれまでに、ピラミッドの映像を見たりしても涙が込み上げてくることはない。やっぱり、現地に行かなきゃだめなのかなあ...。
 私は九州生まれだからきっと大陸系なんだろうなあ。耳あかも、夫は黄色く湿っているけど、私はからから。人種的には絶対違うと思う。まあ、私は縄文系じゃなくても沖縄にハマってしまっている一人だけど。今のところ、私の周りの沖縄にはまった男の共通項は、東北人で顔が濃いということと、40半ばであるということ。それとも単にどちらも歳をとって、癒しやスローライフに憧れるようになったから、か〜???

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2005年11月 8日 (火)

三線のチューリップ

 週末の午前中に宅急便で届いたもの。・花緑さんのインタビュー原稿の色校・・・先々週に取材してすぐ原稿入れたと思ったらもう色校。ブレイクダンスを踊り出しそうなキュッとしたポーズの花緑さんの写真がイカしていた。・「pen」の子ども図書館の分のレイアウト上がり・・・これはこれから原稿書き。どちらもたまたま同じ日に取材したもので、発売日が違うので進行にも若干ズレがあるが、雑誌をやっていると、ほんとーに1ヶ月があっという間に進行していく・・・。
 ・そして、三線・・・これは先月夏休みで沖縄へ行ったとき、夫が現地のお店でオーダーしたものだ。去年の春、初めて沖縄を知って以来、すっかり沖縄病にとりつかれている夫は、3度目の旅にしてついに三線を買った。三線は沖縄独特の弦楽器で弦が三本。三味線みたいなものだ。
 夫が初めて沖縄を訪れた時、夜、居酒屋で泡盛を飲んでいると、お店の常連さんらしきおじさんが、店に飾ってあった三線を手に取り、おもむろにぽろぽろと弾きながら民謡を唄い始めた。ほろよい気分でそれを聴いていた夫は、知っている『十九の春』をときどき一緒に口ずさみながら、「お~、いいじゃんいいじゃん」と、改めて三線の魅力に開眼した、ようだった。たまたま、那覇にいる私の友達のKさんの実家が三線屋さんで、お父さんと弟さんが三線を作っているという。そんなご縁もあって、この10月、ついに夫は自分の三線を作ることになった。
 そのお店はすべてオーダーメイドで、ギターでいえばネックの部分にあたる棹の部分の木も自分でいいものを選ぶ。そのあたり、どんな素材を使うかで値段が違ってくるようで、夫は、せっかく作るならと、けっこうよさげな黒檀を選んでいた。本人いわく、ある程度お金をかけないと、続かないだろうから、だと。それからボディに巻きつける帯みたいな布の飾りを選んだり、ケースを選んだりして、総額ン万円なり。そうしてこのたび、オーダーしてから約2週間ちょっとで、「金城三味線製作所」から、ついにできあがってきたというわけだ。
 日曜の午後、私が新聞読んだり食器を洗ったりしている脇で、夫はベンベンと三線のお稽古。お店で最初に簡単に弾き方や姿勢をレクチャーしてもらっていたので、それを思い出しながらなんとか音を出していた。金城さんが簡単な「チューリップ」の譜面らしきものをつけてくれていて、それを練習する。ぎこちない「咲いた、咲いた」でも、さすがに本物の三線のやわらかい音色だ。秋田の実家の夫の部屋には、ギターケースが置いてある。秋田へ行って、それを見るたびに「1回くらい弾いてみてよ」と私がいうのだが、絶対に弾かない夫。ギターは中学生で挫折したんだと。金城さんは定期的に沖縄から関東近県まで来て三線スクールを開催しているので、おそらく夫もそのうち習いに行くのだろう。40の手習いの三線は続くのか。『芭蕉布』や『てぃんさぐぬ花』を弾いてくれる日はいつになるのかなぁ・・・。そのうち私の三線になったりして。ふふふ。

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2005年11月 4日 (金)

なつかしの抜け道

 先週からやっていた「pen」の取材も2日で全部終わり。最終的に7人に取材した。そのうちお一人のオフィスの場所が原宿と千駄ヶ谷の間くらいだった。
 原宿駅で電車を降り、何年ぶりかで通った竹下通りは相変わらずの芋洗い状態で、蜂の巣をひっくり返したようなにぎやかさ。思わず東郷神社を通る抜け道へと逃げ込んだ。むか~しからあるクレープ屋がなかったら、その道への入り口も見逃したかも。それくらい、竹下通りに昔の面影はない。って、あたりまえか。だいだいいつ頃だよ、昔って。
 境内の砂利道を踏みしめながら、いきなり昔のシーンがフラッシュバックする。この抜け道は80年代のある時期、毎日のように歩いた道だ。明治通りへ出て、横断歩道を渡ると、ビームスのショップがある。当時そこでアルバイトをしていたボーイフレンドに逢うために、学校帰りとか、週末の午前中とか、何度となく歩いた。もう何年も忘れていた情景が、ほわほわと頭の中に流れてくる。
 もう四半世紀前(!)、東京の大学に入って初めて行った頃のビームスは、まだビルの1階の、たしか畳数畳分くらいのスペースしかなかった。そこで、いまでは日本のファッション業界の超有名人になってしまった栗野さんが店員をしていた。ボーイフレンドはそのとき栗野さんが着ていたのと同じシャツを買い、その数日後からいつの間にかアルバイト店員として店に立つようになっていた。
  それから、年を追うごとにビームスはどんどん販売エリアを広げ、やがてそのビルの全部のスペースを占めるようになり、両隣のビルにもレディスやらスーツ専門のセクションができ、そのうちにセントジェームスのボーダーシャツが大ブレイクして、あれよあれよという間にどんどん大きくなって、気がつけば全国にショップをもつ一大セレクトショップになったというわけで・・・。いやはや、あの頃からもう20数年が経っている。当時、一緒によく遊んだ店員さんたちもいまでは取締役になっていたり、他のショップでやっぱりえらい人になっていたり、みなさんご出世されている。
  よく通った鉄板焼きの「ブルドック」も、喫茶店の「テキーラモッキンバード」も既になく、周りの景色がすっかり変わってしまった明治通り沿いに数店舗連なるビームスショップの前を通り過ぎて右に折れ、再び横断歩道を渡り、いろんなことを思い出しているうちにあっという間に取材先のオフィスへ到着。なかなかおもしろい数分間だった。最近は、物忘れも多い歳になってきたけれど、何年も忘れていたことを突然一気に思い出すこともあるんだねぇ。人間の記憶ってほんとに不思議。

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