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2005年10月14日 (金)

感劇話その5 夫婦は二世?

 国立能楽堂で「万之介狂言の会」を観てきた。越後の百姓と佐渡の百姓が、佐渡に狐はいるか否かで言い争い、賭けをする『佐渡狐』と、『川上』、『もらいむこ』という3作。どれもわかりやすくておもしろかった。狂言は、流派によっては言葉が聞き取り辛いこともあるような気がするが、この万之介、万作、萬斎の野村ファミリーはいつも聞き取りやすくてわかりやすい。
  『川上』と『もらいむこ』はどちらも夫婦を題材にしたお話。『川上』は、10年以上前に盲目となった夫が地蔵菩薩に願をかけて目を見えるようにしてもらう話だ。目を見えるようにしてもらう条件が、今の妻と離縁することだった。夫はそれを受け入れていったん目が見えるようになるものの、その条件を知った妻が激怒して別れないと言い張る。強固な妻の態度にやむなく夫も添い遂げることを誓うと、また盲目に戻ってしまう。夫婦はいったんは嘆き悲しむが、これも前世の因果かと謡って手を取り合い帰っていく・・・。「私が目が見えたほうがいいだろう?」という夫に対して、「今まで目が見えなくてさんざん私に苦労をさせたくせに、見えるようになったら独り身になって新しい嫁を探すというのか!?」(私の独断的な訳)と反論する妻は、「見えなくても今までそれなりにやってきたんだから、別れるよりはそのほうがましよ」(これも独断的な訳)という。
 『もらいむこ』は、きっと『川上』よりは若めな夫婦の話だ。しょっちゅう酒に酔って妻にからんだ挙げ句に「お前なんか離婚だ~!』と言い放つ夫に対して、今度こそは本気か~と思って実家に戻った妻。実家の舅は、今回はついに本モノか、と娘を家に入れる。翌日、素面に戻った夫が妻を迎えに来るが、舅は頑として聞かない。それでも、「子供が妻を探して困るのだ」という夫の声に、ついにほだされて姿を現す妻。そして、最後には、意地でも帰さないという舅を夫婦二人で倒して帰っていく・・・。舅にしてみれば踏んだり蹴ったりで惨々な話だけれど、割れ鍋に閉じ蓋的な夫婦の姿が見えるような感じ。『川上』も『もらいむこ』も、夫婦のあり方として究極的にはけっこう身近にありそうな話で、いろいろと考えさせられる。夫婦は二世という人がいる。田辺聖子センセイは「夫婦は三世」といったらしいが、前世・現世・来世と、ちゃんと御縁のある仲、ということなんだろうか。どうなんだろう。飄々として味わい深い万之介、存在感のある万作と萬斎さん、それぞれ際立っていた。
 開演前のこと。私の分のチケットをもっている友人Sが開演1分前まで現れず、能楽堂敷地内のベンチで30分くらい待っていた。すぐそばにJRや高速道路が通っているにもかかわらず、能楽堂の庭はとっても静か。夜空の下、秋の虫の音が響きわたる中で、建物の上にぽっかりと浮かぶ月をぼんやりと眺めているのは、それはそれで和みのひとときだった。

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