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2005年10月31日 (月)

菊食べて・・・

 夫の実家の秋田から新米や野菜などが届いた。野菜は義母が家の裏の畑で趣味で作っているものだが、どれもプロの農家さん並みの見事なでき。今回は里芋、じゃがいも、人参、ごぼう、ホウレン草などであった。ホウレン草は普通のタイプと、生で食べられるサラダホウレン草も入っていた(毎年、義母は新しい野菜にも挑戦している)。そして、菊の花。秋田では菊をおひたしにして食べる。九州大分育ちの私には、初めて秋田で菊のおひたしを目にしたとき、え~、菊を食べるのか~、とかなりぎょっとした。でも食べてみるとこれがおいしい。シャキシャキとした歯ごたえとほんのり残る苦味がなんともうまくて、すぐに好きになったのである。考えてみると、九州生まれの私と、東北生まれの夫とでは、食文化にかなりの違いがあり、最初はお互い戦々恐々、新発見の連続だった。
 さっそく、秋田の秋の味覚で夕飯を作る。あきたこまちの新米を研いで炊飯器にセットし、次は菊。菊の花が70個以上、どっさり袋に入っているので、1輪1輪、花びらをむしる。真ん中の小さい花びらが密集している部分は苦いのでそこは残して、周りの開いた花びらをむしる。大量にあるが、全部茹でておかないとすぐに傷むと思ったので、とにかく全部むしる。当然、無農薬だから、たまに青虫みたいのもいたりするわけで、虫に注意もしつつ、花占いみたいなかわいいもんじゃなくて、もう必死でむしりまくり、たっぷりのお湯の中でさっと茹でこぼす。見る見るお湯は染物でもできそうなくらいに黄色くなった。けっこうしっかり茹でても花のシャキシャキ感は失われない。冷めたらぎゅっと絞って、好みで酢醤油とか出し醤油に酢を加えたものをかけていただく。芋やごぼうは根菜汁にした。 今年初物の秋田の菊だった。秋田だけでなく、東北では昔から菊をよく食べるそうで、日本のエディブルフラワーの元祖みたいなものなんだろうね。
 この冬に同級生が山形に婿に行くことが決まり、先週、その前祝いを兼ねて同窓会があった。九州生まれ・九州育ちの彼は、2~3年前に東京の会社から山形の支店へ転勤になり、今年再び東京へ戻ってきたのだが、山形在任中にしっかり新しい人生の伴侶もみつけてきたというわけで、山形という土地に「自分の居場所をみつけた」のだという。寒いよ~、東北は。でも、寒い国の人はあったかいしね。虎の菊さん、あんたもそのうち毎年秋になると、毎晩妻の手作りのシャキシャキした菊のおひたしに『出羽桜』かなんかしみじみ飲んだりするようになるんだね・・・。ほんとにおめでとう。

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2005年10月25日 (火)

満ち満ち? の花緑さん

 昨日、今日と1日2本ずつの取材。ダブルヘッダーが続いた。昨日は午前に上野の国際子ども図書館の後、午後は渋谷に移動して、落語家の柳家花緑さんのインタビュー。今日は六本木で女優の田村翔子さんのインタビューの後、午後は飯倉でインテリアのスタイリストさんに取材。媒体は全部別々。昨日は1本目と2本目の間がほとんどなく、1本目の図書館取材が思ったよりも押したので、遅れそうだと渋谷の編集者に電話しながら上野公園を銀座線ホームまで猛ダッシュで走り抜け、外苑前からはタクシーを拾って取材先のホテルへ。案の定、10分遅刻だったが、撮影を先に進めていてくれたので助かった。たまたま違う雑誌の取材が同じ日になって、こういうあわただしいドミノ倒し的なスケジュールになることもいってみればフリーの宿命というか・・・でも、お仕事いただけるのはありがたいこと。しっかりやらなきゃ、しっかりするのよ、がんばれ私(猫村さん風)。そういえば、最近プロ野球(日本)でダブルヘッダーって、あんまり聞かないけどなくなったのかな。大リーグでは時々やっているのをニュースで耳にするけど。
 花緑さんは昨年末に「和楽」の対談取材でお会いして以来2度目。今回も「和楽」だが単独でのご出演だ。12月売りの1月号に掲載(もう1月号だって・・・今年も終わりだよ・・・)の記事なので、年末年始に予定しているお仕事の話を聞く。1月には俳優の風間杜夫さんとの落語会を予定しているとのこと。このところ、花緑さんの会はどれも満員御礼状態で、ちょっとタイミングを逃すと席がぜんぜんとれない。今月の『ナンパジジイ』も、日程の大半が夏休みと重なってしまったから行けずじまい。その話をすると、また来年もおやりになるそうで、『ナンパジジイ』は花緑さんの定番的人気の話になりつつあるようだ。来年こそ。風間さんとの会も、『ナンパ・・・』と同じ作家・鈴木聡さんが書くというのでこれもすごい楽しみ。
 思えば昨年、花緑さんに会ってお話を聞いて以来、ついに私も落語を少しずつ聞きに行くようになり、今年は志の輔や小朝も聞いた。今となってみると、花緑さんの祖父であり師匠である小さん師匠をはじめ、志ん朝、枝雀を生で聞けなかったことがかなり悔やまれる今日この頃。おお、談志師匠も聞いておかなくちゃ。クドカンの『タイガー・アンド・ドラゴン』効果もあって、今は若者の間でも落語ブームともいわれるけれど、ブームはいつか去るものだ、と、そういうことにはぜんぜん動じていない花緑さん。相変わらず何事にも意欲満々のオーラ全開という感じであった。毎日がほんとに充実していて、どこからが仕事でどこからがプライベートだかわからないほど、いま自分がやっているすべてのコトが楽しくて仕方ないんだって・・・すごいよなぁ、そんなふうに言えるって。まさにオーラの泉が満ち満ちというところか。

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2005年10月24日 (月)

子どもだけじゃもったいない

 秋晴れの日曜日。朝、洗濯を2回してから、上野の国際子ども図書館へ下見に行ってきた。明日(あ、もう今日だよ)取材する場所なのだが、事前に観ておきたくなって。国立西洋美術館や国立博物館へは行ったことがあるが、上野公園のさらに奥にそんな図書館があるなんて、恥ずかしながらぜんぜん知らなかった。明治時代に帝国図書館として建てられたレンガ造りの建物を2002年に修復・増築したもので、レンガや漆喰と、増築されたガラスボックスとの組み合わせは、なんとなくパリのルーブル美術館を思わせる感もある。壁面や軒下にまで細かい彫刻を施した装飾やメダリオンもあったりして、ヘンな話、子どもだけの場所にしておくのはもったいないような優美な建造物。実際、建築目当てに訪れる学生や大人も多いようだ。カフェテリアもあるし、時間のあるときにまた来てのんびり過ごすのもいいなと思った。
 その後、子ども図書館で待ち合わせた大学時代の友人デコさんとランチ。彼女は家事と子育てをしながら、数年前に翻訳家の資格を取り、自宅で主にコンピュータシステムマニュアルなどの翻訳の仕事(間違っていたらごめん)をしている。久しぶりに昼間自由な時間ができそうというメールが昨日入り、急きょ会うことに。メールはちょくちょくやりとりしているが、会うのは約2年ぶり。相変わらずの美人さんで明るいところは学生時代からぜんぜん変わらない。いつものようにたあいのない会話をしながらランチして、上野から池袋へ移動して、お茶をして別れた。デコさんが持っていたアイポッドシャッフルを見て、やっぱり買おうかなぁと思ったりも。
 それから野暮用で新宿へ移動。ついでに紀伊国屋で本を買って帰ってきた。夕飯は沖縄から買って帰った田芋を使って初めてドゥルワカシーを作ってみた。芋をつぶして栗きんとんのように弱火で延々練るのは難儀だが、初めての割にはけっこう評判はよかったみたいだ。しっかし、久々に日曜日に上野公園、池袋、新宿と、人の集まるエリアを立て続けに移動したが、どこもハンパじゃなく人が多くて、どこからこんなに湧き出してくるんだろうって感じ。帰りの電車の中では久々に人に酔ったような気分になった。それってまだ沖縄気分が抜けていないということなのかなぁ。

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2005年10月22日 (土)

南で脱力

 20日まで夏休みをとっていたので、ブログも小休止していた。出発前には、休みの間ものんびり気分で寝る前にゆったりとブログ書こうかな~などと考えていたが、案の定というかやっぱりというか、夜は飲んで疲れてそのまま爆睡の日々。旅先に仕事を持っていくつもりは毛頭なかったのだが、取材のアポ取りが終わらず、結局毎日、どこかで時間をみつけて東京に電話を入れたりする始末。太陽サンサンのビーチのそばの静かなベンチで、ノートを広げてこそっと取材のアポ入れをしている自分は完全に浮いていてちょっと情けなかった。帰ってきてそれを編集者に話すと、「だいじょぶです。私の知り合いなんて、竹富島の水牛に乗りながら東京に仕事の電話入れたことあるんですから」だって・・・恐るべし。世の中にはいろんなスゴイ人がいるねぇ。旅先は沖縄。今年はこれで仕事も含めて4回目だったが、去年、夫を初めて連れて行って以来、彼がどうも沖縄にハマってしまったようで、今回の夏休みも早くから行き先は沖縄と決まっていた。
 今回は、コンテナハウスに泊まってキャンプのようなことをしたり、海でカヌーを漕いだりと、けっこうアクティブなこともやった。カヌーは数年前にプーケットでやって以来2回目。ぜんぜんヘタだけど、ヘタはヘタなりになんとか楽しめるところがカヌーのいいところだ。海といっても静かな湾内でやるので、波も比較的静か。でも、風がちょっと強いとすぐに翻弄されて、沖へ流されそうになる。オールの漕ぎ方がヘタなせいで、何度もカヌーの縁に手をぶつけて爪が折れた。そんなことしながらも、すぐ後ろに山の迫る入り江を2つ越えて、小さな岩場に上陸して小休憩。再び来たルートを戻るというコースで約1時間半、風と海と一体化して滑っていた。20代からダイビングで沖縄の海の中を中心に楽しんできたが、風を感じながら海面を漂う気持ちよさを改めて再確認。歳もとったせいか、こういう脱力系がすごく心地いい。もちろん、漕いでるときは力入るけど。沖縄にはそういう、ゆるゆる、だらだら、の心地よさがいっぱいある。人もセカセカしていなくてのんびりだし、会話もゆったり穏やか。海や山の自然の中で蝉の声を聞きながらただぼぉ~っとしているだけでも(私は)充分リフレッシュできるし。
 毎日南の元気野菜をバリバリ食べて、こんなふうに身体を動かしていたらきっとシェイプアップできるよなぁと、ノリノリになってきた頃にすげなく旅は終わり。昨日は筋肉痛の身体で仕事復帰し、まだテンポが東京に付いていけない感じだった。気温は10度近く違うし。打ち合わせに行った編集部に飛び交うのは、蝉の声ならぬ電話の音。ほんの数日仕事から離れていただけで、こんなに時間の流れやテンポの違いを感じてしまうとは・・・我ながらちょっとびっくり。というか、それだけよく遊んでよく休んだということか。

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2005年10月15日 (土)

猫のこと

 『きょうの猫村さん1』を読む。期待をはるかに超えておもしろい。エプロンをして2本足で立って家事をこなす猫の家政婦、猫村さん。でも興奮するといきなりみかん箱で詰め研ぎもする。7月に発行して既にもう9刷だ。猫村さんの愛すべきキャラクターが、猫好きを越えて多くの人に支持されているということなんだろう。2が出るのが待ち遠しい。インタフォンが鳴って「お届けモノです。」の声。東北~九州に散らばる親戚から秋の味覚でも届いたか~、と飛び出したら、再来週の取材先の資料だった。そりゃ、お届けモノには違いないけど。
 先日新聞でどうにも腑に落ちない記事を目にした。特養老人ホームで寝たきりのお年寄りの足の指を噛み切った猫が捕獲されたという記事だ。猫は右足の指5本をすべて噛み切り、口の周りに血のついた状態で、ホームの庭で捕獲されたという。そんなことが本当にあるのか・・・。14年猫を飼っている私にはどうしても信じられなかった。老婆の足指がどれほど細かったのかは知らないが、猫に食いちぎることなど、できるのだろうか。しかも5本も立て続けに。それに、口の周りに血のついた猫を発見、なんて、ちょっとできすぎていないか。
 すると、今週号の週刊文春に「猫犯人説に獣医や専門家から疑問噴出」という記事。やっぱりおかしいと思っている人がたくさんいるのだ。記事では、事件を捜査した警察署は「獣なのは間違いないが猫と断定したわけではない」と、わけわからんことをいっているらしいが、捕獲された猫は動物指導センターに保護されたまま。濡れ衣をきせられてこのまま処分されてしまうのではひどすぎる。捜査の進展が気になる。 愛される猫(猫村さんは漫画だけど)もいれば、冤罪に泣いている猫もいる。猫の人生(ニャン生)もいろいろだねぇと、しみじみしながらうちのわらび(猫14歳)に目をやると、我関せずという感じで布団の上でぬくぬくと丸くなっていた・・・おお、そして今はいつのまにか私の足元にちょこんと座っているじゃん。わらびの今はとりあえず平和なようだ。

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2005年10月14日 (金)

感劇話その5 夫婦は二世?

 国立能楽堂で「万之介狂言の会」を観てきた。越後の百姓と佐渡の百姓が、佐渡に狐はいるか否かで言い争い、賭けをする『佐渡狐』と、『川上』、『もらいむこ』という3作。どれもわかりやすくておもしろかった。狂言は、流派によっては言葉が聞き取り辛いこともあるような気がするが、この万之介、万作、萬斎の野村ファミリーはいつも聞き取りやすくてわかりやすい。
  『川上』と『もらいむこ』はどちらも夫婦を題材にしたお話。『川上』は、10年以上前に盲目となった夫が地蔵菩薩に願をかけて目を見えるようにしてもらう話だ。目を見えるようにしてもらう条件が、今の妻と離縁することだった。夫はそれを受け入れていったん目が見えるようになるものの、その条件を知った妻が激怒して別れないと言い張る。強固な妻の態度にやむなく夫も添い遂げることを誓うと、また盲目に戻ってしまう。夫婦はいったんは嘆き悲しむが、これも前世の因果かと謡って手を取り合い帰っていく・・・。「私が目が見えたほうがいいだろう?」という夫に対して、「今まで目が見えなくてさんざん私に苦労をさせたくせに、見えるようになったら独り身になって新しい嫁を探すというのか!?」(私の独断的な訳)と反論する妻は、「見えなくても今までそれなりにやってきたんだから、別れるよりはそのほうがましよ」(これも独断的な訳)という。
 『もらいむこ』は、きっと『川上』よりは若めな夫婦の話だ。しょっちゅう酒に酔って妻にからんだ挙げ句に「お前なんか離婚だ~!』と言い放つ夫に対して、今度こそは本気か~と思って実家に戻った妻。実家の舅は、今回はついに本モノか、と娘を家に入れる。翌日、素面に戻った夫が妻を迎えに来るが、舅は頑として聞かない。それでも、「子供が妻を探して困るのだ」という夫の声に、ついにほだされて姿を現す妻。そして、最後には、意地でも帰さないという舅を夫婦二人で倒して帰っていく・・・。舅にしてみれば踏んだり蹴ったりで惨々な話だけれど、割れ鍋に閉じ蓋的な夫婦の姿が見えるような感じ。『川上』も『もらいむこ』も、夫婦のあり方として究極的にはけっこう身近にありそうな話で、いろいろと考えさせられる。夫婦は二世という人がいる。田辺聖子センセイは「夫婦は三世」といったらしいが、前世・現世・来世と、ちゃんと御縁のある仲、ということなんだろうか。どうなんだろう。飄々として味わい深い万之介、存在感のある万作と萬斎さん、それぞれ際立っていた。
 開演前のこと。私の分のチケットをもっている友人Sが開演1分前まで現れず、能楽堂敷地内のベンチで30分くらい待っていた。すぐそばにJRや高速道路が通っているにもかかわらず、能楽堂の庭はとっても静か。夜空の下、秋の虫の音が響きわたる中で、建物の上にぽっかりと浮かぶ月をぼんやりと眺めているのは、それはそれで和みのひとときだった。

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2005年10月13日 (木)

秋の使者

 昨日、今日と晴れが続き、アポ入れ電話の間を縫って敵討ちのように洗濯をしまくっている。特に今日の晴れは日差しもあったかで風も気持ちいい。家事の中では洗濯がかなり好き。特に干すのが好きだ。乾燥機は確かに便利だが、天気がいいとぜったいに外に洗濯物を干す。洗いたての洗濯物をパンパンとはたいて竿にかけ、光の中でTシャツやタオルや靴下がきれいに並んでいるのを見るのが好きなのだ。今日は布団カバーも洗い、ついでに枕や布団も干した。おとといまでの秋の長雨のような天気の中では、ベランダのハイビスカスの花(まだつぼみがいっぱいあって毎日のように咲いている)も情けない感じだったが、今日はしっかり胸をはっているように見える。しかし、日差しの強烈さが徐々に薄れて、洗濯物が乾くまでの時間も長くなってきた。いつの間にか本当に秋が進行している。
 この季節になると必ずやってくるもの・・・それは喘息だ。毎年、夏から秋に移行して朝晩気温が下がってくると必ず喘息の発作が起こり、気管支拡張剤が手放せない日が続く。それで身体が徐々に気候になじんでくると、いつしか発作は出なくなる。いまは医学の進歩で薬もかなりよくなり、発作がひどくなる前の段階で落ち着かすことができるようになっているので、昔と比べるとかなりラクになっているが、秋刀魚や栗や松茸だけでなく、私にとっては気管支のむずむずも秋の到来を告げる使者だ。
 栗といえば、先日、友人Kちゃんに勧められて虎屋の栗蒸し羊羹を初体験。毎年秋だけの期間限定商品だ。「羊羹が苦手な私でもコレはいけるのよ!」という彼女の言葉につられて買ってみた。ずっしりと重い栗蒸し羊羹は1本3900円ちょっと。たっか~。でも丹波や小布施の栗を使っているというからそれなりなのかも。食べてみると、たしかにおいしい。和菓子が好きな私も、いわゆる普通の練り羊羹のうまさがわかる域にはまだちょっと達していないのだけれど、この栗蒸し羊羹は、あんこに小麦粉と葛を加え、栗を入れて蒸し上げたもので、練り羊羹とは違う素朴な食感がイケる。厚さ1センチくらいに切って渋めの緑茶と一緒にいただくとまた格別。渋めの緑茶がおいしいと感じるのも、秋になったからかなぁ。こうやって年をとっていくうちに、そのうち練り羊羹もこりゃ、うまいわ~と思うようになって、秋の日溜りの中でしぶ~いお茶をいれてのんびりと食べたりするようになるのかなぁ・・・。

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2005年10月12日 (水)

会えなくなった人・・・

 取材のアポ入れをしつつ、その返事を待ちつつ、たまった雑誌や新聞の整理に悪戦苦闘の1日。しばらく新聞をじっくり読めない日が続いていたので、その間の朝夕刊をざっと見直し、必要なものは切り出し、ファイルに整理(というか、ファイルにいれ込むだけ)。雑誌も、掲載誌やら自分で買ったものやらもうごちゃまぜで、床の上がまるで雑居ビル群状態だった。分けて、いらないものは新聞回収の日に出すことにして紐で縛る。やり始めたら勢いがついて、家中の古い雑誌やゴミの片付けまで汗だくでやってしまい、終わったときにはすっきり片付いたものの、持病の腰痛が出てしまった。雑誌って、けっこう重いんだよね。何冊もまとめて抱えて縛ったりしたからだ。いまも痛くて湿布中・・・ババくさい。
 今年になって、新聞回収の業者が変わった。去年まで、うちのマンションには3つの業者が出入りしていて、みんなそれぞれ好きな業者の日に出すようになっていた。A、Bという2つの業者は新聞社と提携しているから、それぞれ自分がとっている新聞がらみの業者が来る日にたまった新聞を出せばいい。うちではA新聞をとっているが、回収は、Cという業者の日に出していた。こちらは個人のリサイクル業者だ。AとBと特に何かが違うというわけでもないのだが、たまたま毎月回収にやってくるおじさんと顔なじみになったので、そのおじさんの日に出していた。おじさんはkトラックでやってきて、マンションの1階入り口に並ぶ袋(新聞整理袋)についた紙(各家の部屋番号と名前を書き込んでいる)をはがして床に置き、その紙の上に、出した袋の数に見合う数のトイレットペーパーを置く。そして、みっしりと新聞紙の詰まった袋を一つひとつ抱えてトラックの荷台に乗せ、隙間なく並べる。おじさんはいつもこの作業を黙々と、淡々とこなして去って行く。
 AやBの業者の日に比べて、おじさんの日は、並ぶ袋の数はやや少ない。だからますます、うちでは「おじさんがんばれ」というような気持ちで毎月その日に出していた。ほかにも、うちと同じような気持ちかどうかはわからないが、おじさんの日に決まって出す家が10軒くらいはあった。ひと月でたいてい袋2つ分の新聞の量になる。袋1個でトイレットペーパーを1つもらえるのだが、おじさんは時々、1・5袋分の量しかないときでも、トイレットペーパーを2個置いて行ってくれたりもした。大したことじゃないといえばそうだが、でもちょっと嬉しかった。そんなおじさんが、今年の1月は回収に来なかった。いつもポストに入っている回収日の通知の紙が入らなかったのだ。どうしたのかなと思いながら、2月になったけれど、やっぱり来なかった。新聞袋が4個もたまってしまったので、仕方なく2月はA業者の回収の日に出して、トイレットペーパー4個もらった。以来、おじさんはやって来ないままだ。今月も来なかったね~と、4月くらいまでは夫と話していたけれど、もう10ヵ月。景気がよくなくて廃業したのか、はたまたうちのマンションは数が少ないから、回るのをやめたのかは、わからないけど。
 今年になって、ここに引っ越してきた時からずっとお世話になっているクリーニング屋さんも廃業されて、来なくなった。このクリーニング屋さんは、私が仕事で家にいない日でもガスメーターのところに洗濯物を袋に入れて置いておけば持って行ってくれたし、クリーニングしたものも袋に入れておいてくれた。毎月の代金も封筒に入れて一緒に入れておく。連絡事項があるときは、メモを書いておくと返事を書いてくれたり、電話でやりとりをしたりした。そんなスタイルで毎週2回ずつ、月曜と木曜に来てくれていたので、とっても助かっていたのだが、残念ながら廃業されてしまった。以来、仕方なく近所のクリーニング屋さんに出しているが、ここは家には来てくれないので、仕事で帰りが遅くなると、あ~、今日もお店に寄れなかった、ということが続いて、正直、苦戦している。今年の初めは、古紙回収のおじさんとクリーニング屋さんという、なじみの人が二人も去って行って、やっぱり不景気なのかな~と淋しく思う日々だったが、今は景気は回復しているかもしれないという話も一部あるようで・・・いったいどうなんだろうか。

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2005年10月 9日 (日)

纏と菊人形

 「和楽」の対談連載の取材で谷中へ行ってきた。今回のお相手は、まとい(纏)職人さん。町火消しが現場で勢いよく掲げて振るう、あのまとい、を作っている人。さらに、菊人形師でもある。初代は江戸時代の旗本で、もともと器用であったことから、明治に入ってから神楽の面を作るようになった。その後、代々菊人形も手がけ、3代目からは纏も作るようになったというお家の、5代目さんだ。
 町火消しが纏を振るう姿はテレビの時代劇でしか見たことがないし、今も実際に使われるのは、正月の出初式や消防殉職者慰霊祭くらいだというから、新規の注文は2~3年に一度。先代や先々代が作ったものの修理が主な仕事だそうだ。といいつつ、美術品や縁起モノとして自宅に欲しいという人もいて、ミニサイズだけでなく、原寸大(高さ2m以上)の注文もあるというのには、正直驚いた。注文してくる人って、さぞかし大きいお家なんだろうなぁ。この正規の纏は1基作るのに2ヶ月くらいはかかるらしい。
 一方、菊人形のほうは、明治時代から有名な団子坂の菊人形を始め、福島県二本松や秋田県の横手城など、国内でも有名な大掛かりな菊人形展を代々手がけているので、この季節はこちらのほうが本番。取材の前日に二本松から帰ってきたばかりだそうで、百体近い人形をセットしてきたのだとか。二本松の菊人形は毎年NHK大河ドラマのお話の名場面を10場面以上作るらしい。今年は『義経』だから、一の谷の合戦やら勧進帳やらの場面を作り上げてきたというわけだ。5代目のご主人と奥さん、そして息子さんの3人でフル稼動で作業の毎日。元気いいちゃきちゃきの奥さんと、お父さんの仕事ぶりを尊敬しながら黙々と手伝う息子さん。3人とも仲がよくて明るくて、話をしていても気持ちよかった。山本一力の話に出てきそうな江戸の職人の家族、という感じ。しかし、工房に最初に足を踏み入れた時は、ギョッとした。棚の上に何十体もの人形のかしらが、ずら~りと並んでいるのだ。武将あり、殿様あり、カラス天狗あり、山姥あり・・・すごいリアル。慣れたら大丈夫だろうけど、たぶん夜は一人であの部屋にはいられないだろうな。
 菊人形というと思い出すのは、私が生まれてから小学校3年まで住んでいた家の隣に大家さんの家があって、そこのおじさんが毎年、立派な菊を育てていたということ。秋になると、黄色や白の見事なあつもの(大きな1輪の花)の鉢が並んでいた。子供の頃はあまり菊に興味がなかったけれど、大人になってから菊を見ると、ちょくちょくこの母屋の庭のことを思い出す。それに続いて最近いきなり思い出したのが、この母屋のおじさんが、毎晩、大声で何か謡っていたということだ。
 うちには最初お風呂がなかったので、夜になると母屋へお風呂を借りに行っていた。風呂上りに母屋の座敷のあたりから、おじさんのうなるような声がいつも聞えていた。普通の歌謡曲や民謡ではなかった。小さい私にはそれが、怒っているような声に聞えて、ちょっと怖かったのを覚えている。それを最近、もしかして、おじさんのあれは義太夫ではなかったのか? と思ってしまった。私がいま、文楽にハマっているのは、ひょっとして幼い頃に毎晩聴いていた義太夫が脳にインプットされていたせいなのか? そう思って実家の母に電話して聞いてみたら、「さぁ~、そんなことあったっけ? 浪曲かなあ・・・」と、すごいアバウト。30数年前のことだから、覚えていないのも仕方ない。おじさん本人に確かめてみるのが一番早いのだが、しばらくごぶさたしているから、それだけ聞くのもなんだか・・・・・・。母に聞いてもらうのもなんだかなあ・・・。ということで、真相はまだ究明できず。

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2005年10月 7日 (金)

タヒチという名の・・・

 朝起きたら、左の掌がかゆかった。前の晩に豚汁を作って里芋の皮をむいたせいだ。手に酢をつければよかったのだが、4~5個くらいだいじょうぶかなと思ったのが甘かった。気にすればするほどかゆかった。夕方近くまでずっとかゆかった。
 原稿書きはしばらくないので暇になったといえばなったのだが、たまりにたまった経費の精算やらで、のんびりできているわけでもない。平行して数日前から次の取材のアポ取りもやっている。「pen_ates」で女優さんにお気に入りの差し入れについて話してもらう連載企画をやっていて、創刊号は山本未来さんに出ていただいた。彼女のお気に入りは麻布十番の老舗のたいやきのお店、浪花屋さんのたいやきだった。私も、フリーになりたての頃に所属していた編集プロダクションが芋洗い坂にあり、ちょくちょく十番まで散歩してたいやき買ったり煎餅買ったりしていたこともあって、浪花屋のたいやきはなつかしかった。未来さんの取材のときに何年ぶりかで食べた浪花屋のたいやきは、相変わらずしっぽまであんこが詰まっていて、やさしい甘さだった。未来さんは思った以上にきちっとしている聡明な女性というイメージだったなぁ。
 その2回目の取材用に、女優さんに取材依頼の交渉をしているのだが、なかなか決まらない。今日も一人、断られた。「紙媒体にはこのところ出過ぎている感じなのでちょっと控えたい」という理由で。断る理由が本当にそうなのか否か厳密にはわからないけれど、ある程度メジャーな人に声をかけているので、なかなか時間が割けないのも無理はないのだ。さっそく次の候補の女優さんの事務所に交渉。取材の企画書をファクスで送り、見本誌を送る手配をした。決まってくれればよいが・・・。
 夜はお友達の編集者MMさんとご飯。このところ私が気に入っているタイ料理屋さんに行った。それは「タヒチ」という名のタイ料理屋さん。タイ料理といっても、ちょっとベトナムや沖縄風の料理を独自にアレンジしたメニューもあったりして、アジア料理といったほうがいいのかもしれないが。とにかくここの味が大好きで、ちょくちょく足を運んでいる。木造一軒家のお店の造りもいい。日替わりのおすすめもあるが、私が定番メニューで特に好きなのは、バナナの花のサラダ。ナンプラーとビネガーの味にシャキシャキしたバナナの花(見かけは巨大な茗荷みたい)や野菜の歯触りが心地いい。
 MMさんとは歌舞伎と文楽鑑賞仲間でもある。彼女はもともと歌舞伎ファンで、私が文楽にハマってから時々公演にお誘いしたり、歌舞伎も一緒に行ったりしている。思えば、会ったのは菊之助の『十二夜』以来だった。もともと歌舞伎になじんでいた彼女がいうには、文楽を何度か観ても、どうしても人形遣いが目に入ることに抵抗があるのだという。
 文楽では、人形を遣う役目の「人形遣い」が必ずしもいつも黒子の頭巾を被っているわけではなく、頻繁に顔を出して人々の視線にさらされる。彼女はこれがどうしても気になって、芝居の世界に入り込めないのだそうだ。その意見はよ~くわかる。「文楽を何度も観ていると、いつしかその人形遣いの姿は消えて、人形しか目に入らなくなってくるものだ」とかって、よく本に書かれていたりする。確かに、そういう瞬間も私なりにはある。でも、どちらかというと、3年半観てきて私が思うのは、人形遣いがしっかり姿を出していても、いつしかそれが、消えるのではなく、気にならなくなるということだ。というか、人形と、人形遣いの表情や動きも合わせてひとくくり、という感じ。でも、MMさんのような感想を持つことも、それはそれでわかるなあという気がした。文楽ファンの私は、もっともっと文楽をいろんな人にも観てもらって、好きになってもらいたいと思っている。そのためには、多くの人が持っているかもしれない文楽に対する違和感とか抵抗感が、少しでもなくなればいいなと思う。そういう意味では、彼女のような意見は貴重な意見の一つなのかもしれないなと思った。といって、私が直接何かをできるわけでもないのだけれど。

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2005年10月 5日 (水)

カメラマンとライター

 『pen_ates』のことをここで書いたと思ったら、偶然にも知り合いから「売れているみたいですね~」というメールが。出だしは好調なのかな。よかったです。
 しかし、改めて自分が書いたお店のページを見て、まず思い出すのは、「あ~、あの日は暑かったなぁ」ということ。ロケハン試食も含めて1軒に最低でも2回は行ったので、4軒で8回以上、猛暑の8月のさなかに足を運んだことになる。ほっんとに暑かったなぁ~。試食して実際には取材できなかった店もあるし。とにかくこの8月はよくレストランに通った。あるときは銀座のビル郡のなか、あるときは桜新町の住宅街を汗だくでふらふらふら~。それが今じゃ、朝晩タオルケット1枚では風邪ひきそうな日もあるくらいで。着実に季節は動いている。
 今回は4軒ともカメラマンが違う方だった。初めて一緒にお仕事させてもらった方もいれば、なんと10年近く前に某女性誌の取材で1度ご一緒して以来、久々のご対面となった方もいた。といっても、取材には基本的に編集者が同行しているから、実際には編集者がカメラマンにずっとついて撮影のほうの立会いをして、ライターの私は撮影場所から離れて単独でお店の人に話を聞いたりしている時間がほとんど。カメラマンとライターは必ずしも同じ場所で仕事をしているというわけではない。だから、お互いそれぞれの持ち場に専念していると、ぜんぜん言葉を交わさないまま取材終了でお別れ、ということもままある。
 それでも『クレア』で書いていた時代からお世話になっているカメラマンY氏とは、料理撮影の合い間になんやかやと話はできたりしたけれど、『pen』本誌で何度かご一緒させていただいているDさんとは、お店の前で待ち合わせた時に「ひさしぶり~」と2言3言話したあとは、取材時間がおしたせいもあって、全部終わってまたお店の前で解散するときに、「じゃあ、またね~」と交わしただけ。約10年ぶりにご対面したSさんに至っては、最初のあいさつの会釈のみで、そのあと彼は黙々と自分の仕事をして、撮り終わったら、次のお仕事の時間も迫っているからと、ひと足先にお帰りになられて、声も聞けぬ始末。次にお会いできるのはいつだろうか。まあ、カメラマンとライターというのは、現場ではそんな感じがけっこう多いのです。
 これが編集者の立会いがなくて、ライターが現場で編集的な役割もやるような取材のときには、カメラマンとライターの密着度は当然高くなる。同じ人と組むそういう取材が続いて、結果的に結婚したカメラマンとライターのカップルというのも、知り合いにいたりするけど、それって完璧な職場結婚だ。でもって、そういうカップルは結婚すると仕事上のチームは敢えて解散したりしている。その気持ちはわかる気もするけど。もちろん、変わらずにしっかりタッグを組んでいる人たちもいる。カメラマンとスタイリストさんのカップルなんかも似たような感じかなぁ。おっと、アテス取材の話から思わず職場結婚の話になってしまった・・・。ライターをやっているというと、よく「取材でいろんな人に会う機会があっていいねぇ、いろんな人と仲良くなれていいねぇ」といわれたりすることがあるが、実際はそれぞれ淡々と自分の仕事をして、終わったらまた次の仕事場へ、というあっさりした感じが多いのも事実だ。無口で職人気質のカメラマンさんもけっこう多いしね。私はそういうカメラマン、好きだけど。

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2005年10月 4日 (火)

キッチンの戸棚の神様

 9月27日に雑誌『pen』の別冊『pen_ates(ペン・アテス)』が創刊され、先週末に掲載誌が届いた。食を中心としたライフスタイル誌ということで、主な読者ターゲットは30~40代の男性、「快楽的向上心のある男性」ということらしい。私は今回、料理店の特集記事を4軒と、山本未来さんのインタビュー記事を書いている。料理店の特集は、アテス的見地でいうと、「美味しい、のはもうあたりまえで、プラスアルファの特典がある店。ただ美味しいだけではなくて、いかに美味しく食べるか、という観点からさまざまに心を砕いているお店を厳選して紹介する」という感じ。たとえば、「感動をくれる」とか「やさしい」とか「お洒落心がある」というようなプラスアルファがある店が登場する。というわけで、特集タイトルは「誰も知らなかった、三ツ星レストラン」です。
 思えば、まだ1ヵ月も経たない前の、同時多発入稿の最後の大ヤマだった仕事だけに、できあがってくるとさすがに嬉しかった、と同時に、え、もうできたのか、って感じでなんだかあっけない。まあそれが雑誌なんだけどね。にしても、このアテスに関しては、昨年末に新雑誌の編集部が編成された頃からちょっと関わらせてもらっていて(っていっても、大してお役に立つことはしていないが)、まだ雑誌の名前も決まっていない頃からの編集スタッフのご苦労を目の当たりにしてきただけに、そういう意味ではある種感慨深いものがあったことは事実。『pen』の別冊とはいえ、コンセプトも誌面デザインも、何もかもゼロから作り上げていくわけだから、現場の苦労も想像を絶するものがあった、はず。時々、その一端を垣間見る機会もあったので、こうして一つのカタチとしてできあがってきた時は、1人の外部スタッフでしかない自分でも、ああついに・・・という感じがした。
 特集に関しては、数ヵ月前から編集部全員で、候補の店を1軒1軒試食して、たしか200軒以上の中から選びに選んだ25軒(5つのテーマに分けて紹介)だから、確かな自信をもっているし。とにかく気合いの入り方はすごいです。そしてその熱意は入稿中でもず~っと続いていて、私は原稿書きのときにその熱さに圧倒されてしまったわけで(前のブログに書いたけど)。でも、一度でき上がっちゃうと、隔月とはいえ、もうどんどん続いていくので、これから先がもっと大変かもなあ。もう2号目の取材も始まってるし。2号目もあのテンション、続くのかなあ。編集者さんにはどうか倒れないでがんばってほしいです、なーんて。売れてくれればいいなあ。けっこう読み応えある1冊だけど、和楽の原稿もベッキーの原稿も先週出してしまったし、気分的にちょっと余裕ができたので、のんびりじっくり全体に目を通そうと思っている。
 ところで、penates というのは、ローマ神話に出てくる神様で、台所の戸棚の神様のことなんだって。家庭の守護神という意味もあるらしい。

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