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2005年7月25日 (月)

感劇話その1 めくるめく蒔絵の舞台

 数日前、歌舞伎座で蜷川幸雄演出の『十二夜』を見てきた。『十二夜』はシェイクスピアのロマンティック・コメディー。シェイクスピアの演出で世界的に有名な蜷川さんが、初めて歌舞伎に挑戦するということで、上演前から大きな注目を集めていた舞台だ。
 ちょうど、毎月対談のまとめを担当している「和楽」の今月号で、『十二夜』に出演する菊之助さんに出ていただいたり、制作発表の記者会見にも足を運んだこともあったりして、個人的にもどんな舞台になるのかと、ずっと楽しみにしていた。
 初日からテレビや新聞でも大々的に紹介されて、舞台に大きな鏡が使われていることは知っていたが、いざ幕が開けたとたん、その効果に圧倒されっぱなしで、独特の世界にぐいぐいと引き込まれていった。舞台の後方一面に設置された屏風のような鏡が、あでやかな着物をまとった役者の後ろ姿も、客席までも、すべてを映し出す。さらに、鏡と、その前に置かれた和蝋燭の灯り(西洋風のキャンドルスタンドに立てられていて、とてもおしゃれ)が、醸し出す幻想的な世界。照明を落としたとき、暗く沈んだ鏡の面は、まるで黒光りする漆のようになり、それが、部屋の襖に描かれた蓮の花や(たしか)雲などと合わさって、まるで大画面の蒔絵を見ているような気持ちになる・・・・・・こんな舞台は初めてだった。
 正直、歌舞伎を見て、最後までずっと舞台に釘漬けになっていたのも初めてだったかもしれない。菊之助は大活躍の早代わりでの双子の兄妹を魅力的に演じていたし、菊五郎はさすがに熟練の安定感。亀次郎のお女中もおちゃめだった。取材のとき、菊之助さんが、「蜷川さんから、俺は菊之助と心中するつもりでやる、といわれているんです」といっていたが、蜷川さんにとっては、まじでそれくらいの意気込みだったに違いない。そんな蜷川さんの初挑戦は大成功だったといえるだろう。
 言葉も通常の歌舞伎の言い回しよりも聞き取りやすく、わかりやすかった。この『十二夜』を歌舞伎といっていいのか、悪いのか、私にはわからないが、楽しくて、わくわくして、素敵な舞台だった。こんな歌舞伎があってもいいよねと、大満足で銀座まで歩いて帰りましたです。

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2005年7月21日 (木)

寝ないと、別の人。

 原稿書きの追い込みで、週末は寝ずの日々。特に月曜の午後から昨日の夜までは2日半の合計睡眠時間が約5時間だった。
 寝ないでいると、当然、頭のはたらきもにぶくなる。そして、顔にも出る。なんというか、顔の皮が薄くなって、しわっぽくなるというか、要するにスカスカの状態。目もうつろ。
 原稿書きで夜なべをしたときにいつも思うことだが、ちょうど、「鶴の恩返し」の鶴が自分の羽を使って反物を織り、終わったときにはぼろぼろの惨めなカラダになっているみたいに、自分のカラダやの脳の養分が全部原稿に吸い取られていくような感じ、がする。脳みそも海綿のようにスカスカの状態、になっているような気がする。だから、考えてみれば、そういうのは当然、顔つきにも出てくるわけで。昨日は特にひどかったみたいだ。 
 朝、ちょっと横になって休憩している私の顔を見て、夫はいった。「蝋人形みたい。まじで寝たほうがいいんじゃないの?」寝たいよ、私だって。
 原稿は昼には書き上げたが、眠いはずなのにほとんど眠れない。やっぱり神経が高ぶっていたのか。結局、そのまま夜、打ち合わせに行ったら、ギャルに、「まきのさぁん、顔が違う~」と驚かれた。いっておくが、普段は念入りにメイクしているとか、そういう問題とは違いますよ。顔には出さなかった紳士の方々もぜったい、心ではひどいと思っていたはず。そりゃ、私だって本当はこんな日に人には会いたくないですよー。それで、みんなに同情されて、終わったら早々に返された。ご丁寧に、「ずいぶんお疲れのご様子だったので、心配しました」と、今朝メールをくれた女史も。
 そして、ゆうべは数日ぶりに爆睡。一度も目覚めず、朝がきた。顔は、やっぱり昨日とは違って、いつもの顔に戻りつつあった・・・・・・どうして寝ないと顔が変わってくるんだろう。ちゃんと医学的根拠があるんだろうか。でもそれはやっぱり、疲れがもろに顔に出てくる歳になったのですよ、ということ・・・・・・?。

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2005年7月15日 (金)

よいよいよいやまの粽(ちまき)

 同じ日に二度目の更新。前代未聞だ。
 前回のは今朝の1時か2時頃に書いたものだから、話としては昨日14日のもので、今回は今日15日の話題。
 この週末は、週明けの締め切りに向けて、びっちり原稿書きの予定。いま、そのレイアウトの上がりを粛々と待っているところだ。
 そんな今日、以前取材でお世話になった京都の方から、祇園祭の厄除け粽(ちまき)が送られてきた。
「今日は、祇園さんの宵々々山(よいよいよいやま)、祇園祭巡行の3日前です。厄除け粽を買いました。家の分と子供達の分、ついでに、牧野さんの分。送ります」と、書かれた手紙が同封されていた。
 この粽は護符のようなもので、家の玄関に飾ると、悪霊の侵入を防いでくれるのだそうだ。茅(かや)の葉で作られていて、形状はまさに、中に餅菓子を入れて蒸す、食べ物の粽。八坂神社をはじめ、各山鉾町内の会所売店などで売られている。
 原稿書きの緊張感が高まってカリカリモードに陥りそうなときに、なんだかほろっと嬉しい気持ちなった。ほんとうに嬉しい。ありがとうございます。粽の厄除け効果でよい原稿が書けるといいなあ。
 7月、真夏の京都の街は祇園祭の熱気にとりつかれる。そういえば、2年前の7月、お寺の取材からの帰りに乗ったタクシーがちょうど巡行に出くわして大渋滞にはまり、結局下りて歩いてホテルに帰ったっけな。今度、巡行を見に行けるのはいつだろう。

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ゴーヤサラダ、クーブイリチイ風

 久々に体調崩して夕方までダウン。しかし、夜にはなんとか生還した。1日家にいるのは久々だったので、リハビリも兼ねて夕飯を作った。料理をするといい気分転換になるし、1日横になっていた身体を適度に動かすことで、筋肉がほどよくほぐれる感じもした。

 メニューはゴーヤサラダ、クーブイリチイ風炒め物、豚肉の甘辛炒めカレー風味、高野豆腐の煮物、など。ゴーヤサラダは、先週の取材でもお世話になった仲良しの沖縄のスタイリスト、Kさんが制作にかかわったキューピーマヨネーズのCMの通りに、スライスしたゴーヤを軽く塩もみし、スライスしたパプリカとツナ缶を入れて、マヨネーズで和えるだけ。カンタンだ。Kさんとは5年前に取材で知り合って以来、公私共に親しくさせていただいている。沖縄の人なのにゴーヤが苦手という不思議な人(でも、彼女によれば、そういう沖縄人は珍しくないらしい)。クーブイリチイはやはり沖縄料理の昆布の炒め物だが、今日は昆布だけでなく、もやしやミニトマトやエリンギも一緒に炒めてみた。豚肉の甘辛炒めカレー風味は、茹でたもやしやカイワレ大根と一緒に、サニーレタスやしそで巻いて、ナンプラーの甘酢たれにつけて食べる、ベトナム料理屋さん風に。

 ちゃんと料理を作ったときに限って、夫から「飲んで帰る」というメール。そんなもんです。野菜がいっぱいで満足、自画自賛しながら食べました。そして、お風呂上りにさっき洗い物をしながら、気がついた。高野豆腐の煮物を食べるのを忘れていた・・・・・・高野豆腐入りの小さい鍋が、ぽつんとガス台に残っていました。かわいそうな豆腐ちゃん。でも、タッパーに入れて冷蔵庫に入れたから、朝には味がいちだんとしみて、おいしくなっているはず。

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2005年7月13日 (水)

七草の会

 今日、改めて自分のブログを見返してみたら、6月2日から始めて約1ヶ月半で、まだ8回しか書いていないことに気がついた・・・やはりサボリ魔である。以前、数少ない読者さんの一人から「たまにしか書かないから文章が長くなるんだよ」というご指摘を受けたこともあったなあ。そう、たしかに長いと若者は最後まで読んでくれないかもな。それはそれでいいけど。というわけで、今日から心を入れ替えてまめに更新します(え?)。それから、今日はいつもの”かたまり表現”ではなく、知り合いのブログ文体を真似て書いてみることにします。

 今日の仕事は主に打ち合わせと取材のアポ準備、

そして、取材した記事の写真をカメラマンと一緒に選び、

デザイナーに渡す作業など。

今年に入って、ライターとしてだけでなく、

編集も兼ねた雑誌の仕事を一つ受けていることもあり、

打ち合わせや会議に参加する時間がぐっと増えている。

机を並べてスタッフみんなでああでもない、こうでもないと

言い合いながら作業をするというのは、何年ぶりか。

はるか昔、社員編集者だった頃のことを

ふっと思い出すような日々が続いている。

 夜は、大学時代の友達3人でひさびさにご飯会。

場所は下北沢の「七草」。野菜・根菜中心のコースで、身体にやさしい

料理を出してくれるお店。同じメンバーで、去年の12月に

やはりここでご飯を食べた。以来、3人とも気に入って、

今回もまたこのお店を予約。

今日は、とうもろこしのすり流しに始まり、

お豆腐とじゅんさいの一皿、

芋がらやずいきを使った炒め煮(風)、

おかひじきやみょうが、きゅうりを千切りにした和え物ほか、

よ~く煮込まれた角煮以外は全部野菜とお豆、海藻づくし。

お腹一杯になっても、

胃に負担のかからないメニューがうれしい。

 2人の友達は、主婦兼週に数日お勤めをしているY子さんと、

バツイチで有名ブランドショップ勤務を経て、

いままた有名デザイナーのショップで働いているA子さん。

20年来のつきあいだし、まったく業界の違う人達だということもあって、

たわいのない話や昔話、日々気になる老化の話など、

あれこれと話して、笑って、食べて、なごみの時間だった。

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2005年7月11日 (月)

おばあの黒糖

 またしばらく間があいてしまった。ブログをまめに更新し続けるって、ほんとに大変だな。聞けば、1日に何度となく更新している人もいるというし。そんな人から見たら私は完璧にサボリ魔だ。

 さて、「のぞみ」攻勢の6月も終わり、先週はついに「のぞみ」には乗らなかった。代わりに、飛行機で沖縄取材へ行ってきた。約3ヶ月ぶりの大好きな沖縄。梅雨明けで太陽サンサンの日差しと、おいしい泡盛と沖縄料理。でも仕事だから、当然、楽しいことばかりではない。それでも、友達でもある現地のスタイリストさんに仕事をお願いしたりして、仕事ながらも(いい意味で)楽しくできるような段取りをして、出かけた。

 取材したのは、現在ブレイク中のブランド、「YOKANG」の生みの親であるご夫婦。奥様がデザインを、だんな様が”染め”を担当し、琉球の伝統工芸である紅型や型染めの技法を用いてモダンで斬新なデザインのウエアを発表し続けている。今年の4月にプライベートで那覇へ行ったとき、とある店で、紅型染めの龍や虎を施したコンバースのスニーカーをみつけ、おもしろいなあと思っていた。それが「YOKANG」というブランドのもので、ご夫婦でやっているということを知ったのは、その少し後のことだった。そして、気がつけばひょんなことからそのご夫婦を取材する立場になっていた。

 奥様のカンナさんとだんな様の洋さんは、雑誌で見る以上にかなりフォトジェニックで、撮影中は、まるでファッション誌のモデル撮影をしているような錯覚に陥ってしまうこともしばしば。しかし、ひとたび口を開けば、お二人ともまさにウチナンチュー(沖縄の人)。沖縄の美しい自然と、ゆったりと流れる時間の中にいるからこそ、今の仕事ができるのだ、といっていた。東京みたいな都市にいると、情報が多すぎて、自分のペースがつかめなくなる、と、それぞれ語っていた二人。「ここいいるからこそ、できる仕事なんです」という言葉がいつまでも耳に残った。2日目の朝、ビーチに出て、カンナさんのおばあさんと一緒にご夫婦が散歩しているシーンを撮影。今年91歳だというおばあは元気いっぱいで、二人がデザインした紅型の浴衣を着て、32度の日差しの中、撮影に協力してくれた。『ナビイの恋』のおばあをもうちょっと美人系にしたようなトミおばあはカンナさんにそっくりだし、浴衣に合わせて帯を2タイプ持ってきてくれていたり、髪もきりりとアップにして、漆塗りのかんざしや髪どめを3つもつけていたりして、とってもおしゃれさん。すっかりファンになってしまった。

 猛暑の中で数カット撮影にご協力いただき、終わってお別れするとき、おばあが「黒糖あげましょうね」といって、ごま入り黒糖の袋を手渡してくれた。すぐに口に入れると、乾ききった喉に黒糖のやさしい甘さが染み渡った。十数年前、フリーのライターになったばかりのとき、一人でカメラを持って沖縄の離島を回って取材したことがあった。フリーになりたてで、しかもたった一人で島を回り、ときに心細くなったりもする日々だった。そんななか、波照間島で、道を聞いたおじいから、別れ際に無造作に紙の包みを手渡された。開けると、黒糖のかけらが数個入っていた。じりじり照りつける日差しの中、サトウキビ畑の脇で、その黒糖を口に含んだ。おじいの不器用なやさしさと、素朴で滋味に溢れた黒糖のやさしい甘さが一緒になって、心も身体もほぐされるようで、しばらく道に立ち尽くしていた。甘いものは苦手な私だったが、それ以来、黒糖が大好きになったのだ。トミおばあとカンナさんたちが乗った車を見送りながら、そんなことを思い出していた。沖縄では、お茶請けとしても、黒糖はおばあやおじいの必携品。たとえば大阪のおばちゃんたちが、どこに行くにも飴をバッグに入れているのと同じような感覚らしい。トミおばあからもらった黒糖はごま入りで、これは初めて。ごまの粒の食感と風味が心地よくて、さらにぐっときてしまった(ぐっとくる、という言い方は、かなり死語らしいようですが)。やっぱり沖縄はやさしい。

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2005年7月 1日 (金)

仏像のお医者さん

 おとといは京都日帰り取材だった。朝6時半に家を出て、帰宅したのが夜8時。ついに今週も「のぞみ」に乗ってしまった。6月は毎週「のぞみ」で皆勤賞(?)。しかし、移動するだけでも疲れるというが、さすがに昨日は爆睡後に持病の腰痛が出た。腰痛には梅雨の低気圧も関係あるのかな。

 取材の相手は仏像修復師さん。先週、ロケハンに行ったところだ。現地に着いていきなり、東南アジアのような猛烈なシャワーに見舞われたものの、1時間くらいで空も落ち着いた。雨上がりの山や竹林や田んぼの緑のきれいさに、目を見張った。そんな静かな場所で、修復師のYさんは、毎日毎日、工房の中で仏像と向き合って仕事をしている。お話を聞いている傍らには、10世紀始めに作られたという十一面観音像が横たわる。その奥にはお地蔵様。数体の仏像が、じっと修復の時を待っている。ノミをふるって木を削る音が響く以外、工房は静かだ。何百年~千年という時を越えて、ものいわぬ仏像たちとひたすら対峙する日々とは、どういうものなんだろうか。そこには、私が東京周辺で過ごしている毎日とは、明らかに違う時間が流れている気がした。お仕事を見せていただきながら、過ごした数時間。先週もそうだったけれど、取材しながらこちらも心地よい気持ちになれた。帰りにまた「すえひろ」の天むすを買った。でも今回は、夫へのお土産として。車内ではビールにチーちくをつまむ。我ながら親父度高し。でも、隣の席に座る制作会社のF女史は、白桃サワーにさきいか。20代ながら、将来有望だ。カメラマンのKさんはビールにお弁当。ひと仕事終えた後の一杯は、やっぱりおいしい。猛暑だっただけに、よけい喉にしみた。

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