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2005年6月28日 (火)

寝不足と澤選手とボディバランス

 このところ、寝不足の日々が続いている。夜中にテレビでサッカーを見ているからだ。オランダのヤング・ジャパンの試合に始まり、コンフェデ杯。土日の準決勝もしっかり観戦。メキシコ対アルゼンチンの死闘は、PK戦までいって、終わったら月曜日の朝。完璧に時差ぼけ状態だ。近所の台湾料理屋のママは筋金入りのスポーツファン。サッカー見て、ウィンブルドンも見て、もうすぐ、ツールド・フランスも始まっちゃうのよねえ、ぜんぜん寝られないわあ、といっていた。おそるべし。店ではいま、営業時間中に女子バレーボールをテレビで流している。

 コンフェデ杯といえば、ブラジル戦は久々に熱狂した。うつらうつらしてきたところに俊輔の弾丸ミドルシュート。完璧に目が覚めた。この試合ではどうしても得点をした俊輔や大黒がクローズアップされているけれど、やっぱり中田はすごいなあと、改めて感心させられた。俊輔のミドルシュートも中田の素早いリスタートから始まったものだし、2つの得点の両方とも、中田のプレーからつながっている。相変わらず、当たり負けしないし、倒れない。ボディバランスのよさだ。前傾になりながらもしっかり前を向いてボールを追う姿は、まるで獲物を追うヒョウかプーマ? そんな中田のプレーを目で追いながら、なでしこジャパンの澤穂希選手のことを思い出していた。5月末に発行された某企業のオーナーズマガジンで、澤選手のインタビュー記事を書いた。思えば、取材は2月だったが(みぞれの中の試合観戦、さぶかった~)。文章量の関係で、記事には書けなかったが、このときに澤選手が、尊敬する選手は中田英寿選手だといっていたのだ。「うまいし、ボディバランスがいいし、プレーでチームを引っ張っていくタイプ。あんな選手になれたらいいなあと思います」といっていた澤さん。そんな彼女を「中田選手の女性版」というサッカーファンも、少なくない。

 アメリカのプロリーグでプレーしている間に筋力トレーニングの重要性に痛感し、アメリカ人選手に当たり負けしないようにと、ウエイトトレーニングやフィジカルトレニーングで肉体改造に励んだという澤選手。その身体はたしかに、鋼(はがね)のように、凛としていた。私はといえば、最近、朝早い電車に乗ることが多く、満員電車にもまれている。チビなので、ラッシュの人の揺れやタックルは大の苦手。つかまるところがないと、よろけてきた隣のおやじの威力に負けて、座っている人の前に倒れ込みそうになってしまうこともある。そんな私に、「悔しかったら中田のようなボディバランスをつけろ」と、夫はいうが、そういわれてもねえ・・・・・・。なでしこジャパンの5月のロシア遠征では、2戦2勝で澤選手も1点を決めたらしい。7月末には、オーストラリア代表との試合もあるようだし、男子の活躍に続いて、女子もがんばってほしい。

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2005年6月22日 (水)

癒しの電話

 昨日もまた、「のぞみ」に乗ってしまった。京都と奈良の間の、緑の綺麗なところまで、取材の事前打ち合わせ。京都周辺は30度近い暑さだったようだけれど、取材相手の方の穏やかな話ぶりと、犬と、綺麗な自然に癒された。帰りに、京都駅でも「すえひろ」の天むすを発見! またビールと天むすつまみながら帰ってきた。今月は毎週「のぞみ」に乗ってるなあ。品川で毎週、地方出張のサラリーマンたちと顔を合わせている。「のぞみ」内のクール・ビズ度は低いと見た。やっぱり営業のような人達にはクール・ビズは難しいのかな。

 今日は朝からスケジュール調整の電話連絡に翻弄されて、情緒不安定。夕方から急に打ち合わせが入りそうになり、その前に入っている取材の終わり時間を確認したり、一方で、別の仕事の電話連絡などもしなければならなかったりで、かなりバタバタした。フリーで仕事をしていると、どうしてもいくつかの違う仕事を平行して担当することもあるので、スケジュールの調整で苦労することもしばしば。なるべく早めに予定を組むようにしているつもりだが、なにぶん相手があることなので、急に時間が決まることもある。取材の時間というものは、一応終わる予定の時間が設定されているものの、何があるかわからないから、きっぱり2時間で終わって何時にはここへ行けます、などとは簡単にいえないことも多い。だから、なるべくならゆったりした時間割を組みたい。にもかかわらず、やっぱりそのニッチなところであくせく時間調整をしなければならないのが現実。そんな自分に、トホホな気分になっているとき、ポロポロと携帯が鳴った。出ると、作家の藤原伊織さんからであった。ある雑誌の仕事で、編集を担当している部分があり、藤原さんにエッセイの執筆依頼をしていたので、そのお返事であった。今日午前中にこちらから連絡をする予定にしていたのだが、スケジュール調整にバタバタしているうちに、先に先生からお電話をいただいてしまった。申し訳ないやら。

 エッセイのページを担当したのは、たまたまだったが、偶然にも、藤原伊織さんとは先月末に、お仕事で関わらせていただいた。現在発行されている「本の話」(文藝春秋)7月号で、藤原さんと作家の逢阪剛さんの対談に立会い、対談原稿をまとめさせていただいたのだ。「本の話」は書店では取り扱われておらず、年間購読者のみに直接届けられている雑誌。藤原さんが「週刊文春」で連載されていた『シリウスの道』が単行本化され、それが広告代理店を舞台にした小説であったことから、代理店出身のお二人に、代理店を巡るミステリーについて、あれこれと話していただいたというわけである。藤原さんと逢坂さんはプライベートでも仲良しさんだということもあってか、和気藹々の対談は抱腹絶倒だった。もちろん、原稿にはとても書けなかったオモシロイ話も多々ありましたが。さて、電話のほうは、今回は締め切りが重なっていることもあってパスとのご返事だったが、電話口でまたまたいろんな楽しいお話をきかせてくださって、気がつけば、いつしか私の心もほぐされていた。藤原さんは雑誌でも公表しているとおり、現在、病気の治療中。そんな大変なときなのに、あんなに人を楽しませる会話ができるなんて、すごいことだなあと改めて思った。スケジュールくらいでカリカリしていた自分の小ささが、改めて身にしみて、情けない。

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2005年6月17日 (金)

クールな尺八奏者

 ひさびさの投稿。あっという間に毎日が過ぎ、はや週末。ブログを更新するって大変ですね。まめに書いている人はすごいな。先週は大阪に出張し、今週は月火と、岐阜に出張した。毎週「のぞみ」に乗って、日々、「のぞみ」以上の早さで過ぎているみたいな感じだ。

 さて、お仕事の話。今、発行中の雑誌「和楽」7月号で、尺八奏者の藤原道山さんと、ノンフクション作家小松成美さんの対談原稿のまとめを担当している。「和楽」は、定期購読契約をしている読者にのみ毎月送られる雑誌で、基本的に書店売りはしていないので、けっこう知らない人も多いかもしれない。その名のごとく、“和の心を楽しむ”というコンセプトの雑誌。この対談は、昨年春から始まった連載で、今回で17回(もうそんなになったのね)。毎回、伝統芸能や伝統工芸など、和の世界の伝統を継承する方々が登場し、小松さんと対談をするというもので、私はその対談の原稿構成を担当中。

 今回の藤原さんは、“和楽器界の貴公子”ともいわれる尺八界のホープ。紅白歌合戦に登場したこともあり、その端正なマスクが多くの女性ファンをひきつけている。実際にお会いして見ると、テレビで見た通りのスラリとしたイケメンで、笑顔もとってもサワヤカだった。彼のCDを聴くと、一瞬、フルートか? と思ってしまうほど繊細でやさしい音色が心地よくて、ついつい引き込まれてしまう。「アメイジング・グレイス」とか、フォスター作曲の「金髪のジェニー」なんかも入っているアルバムもあって、かなり癒し系。対談中、藤原さんが「一時期、いわゆる尺八らしい”ぶわわぁぁん”という音を敢えて出さないようにしていた時期もありました」という話をしていたが、なるほどと思った。でもいまは、そういう昔ながらの尺八らしい音のよさもわかって、ちゃんと使っているのだそうだ。「一度離れたからこそ見えてくる、伝統のよさ」ということだろうか。これは、この連載でお会いする、伝統を受け継いでいく世界に生きている人たちに、けっこう共通しているキーワードでもある。藤原さんの対談は4月だった。約2ヶ月前のことだけど、なんだかもっと以前のようで、なつかしい。この対談、いつも1時間~2時間くらいなのだが、全4ページのうち、文章のボリュームは2ページ弱くらい。話題が盛りだくさんなので、とても全部は書けず、毎回、どこを削るかでかなり骨を折っている。書かなかったことだけで、充分にもう1話できそうだ。

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2005年6月 8日 (水)

メリハリな日々

先週末は久々に平穏な土日だった。

金曜夜は、サッカーの日本対バーレーン戦を見て夜更かししたので、土曜日は午後まで寝て、ダラけて過ごした。夕方からものすごい雷雨。近所にカミナリが落ちたらしく、すさまじい轟音だった。打って変わって日曜日はいいお天気。この先取材するかもしれない沿線の自転車屋さんをロケハン。電車で十数分なので、散歩気分で出かけた。同行したのは、同じ雑誌Aに関わっている40代の男性編集長と20代の男性プロデューサー。それに40代の私という、一見つながり不明なトリオだ。主にMTBやBMXなどのマニアックな商品をそろえる店内で、男性陣はともかく、おばちゃりしか持っていない私はきっと浮いていたはず。帰りに駅ビルのカフェで打ち合わせ。スイーツとコーヒーを囲んで、雑談6割、真面目なギロン4割を闘わせた白熱の打ち合わせは1時間で終了、解散した。

月曜日。昼前に翌日インタビューする人の資料を整理。必要なデータはあらかじめ頭に入ってはいたが、やっぱりもう1冊、本を手に入れたくなり、書店数軒に問い合わせてみたが、いずれも在庫なし。取り寄せでは間に合わないので、直接版元の出版社に買いに行かなければならなくなりそうになった。土日に書店に問い合わせておけばよかったと反省。週末にのんびりしたツケである。しかしその前に、前もって決めていたアポイントがあったので、神保町で編集アシスタントのアルバイト候補の学生と会って、仕事内容・条件などを説明。学生と別れて、念の為、神保町の大きい書店を回ったが、やはりお目当ての品はなし。結局、麹町の出版社へ足を運んで購入した。その後、19時に築地のA誌編集室へ行き、編集会議に突入。終了したのは22時前。長い会議は苦手なので、疲れまくりであった。

火曜日。新横浜から9時過ぎ発ののぞみで大阪へ出発。車中、前日購入した本に目を通した。新たな「へぇ」があったので、やはりその本を買ってよかったと自己満足。12時半からB誌の仕事で文楽の太夫さんのインタビュー。文楽は個人的に数年前からハマっていて、いつもは純粋に1ファンとして楽しんでいるわけだが、それがお仕事となると、大好きな世界であるだけに、なんだか妙に緊張してしまった。しかもお相手は大ベテランのお方である。最初は自分でも声が震え気味で固まっていたのがありありとわかったが、お話をしていくうちに、徐々にそんな気持ちもほぐれて、会話も弾んで一安心。怖い師匠かなと思っていたが、楽しいお話をたくさん聞かせていただいて、感謝感激。担当編集者は京都でさらに用があるというので途中で別れ、カメラマンさんと二人で帰京。担当の美人編集者さんが買ってきてくれた天むすとしゅうまいをつまみながらビールを飲み、シアワセ気分の車中であった。特に「すえひろ」の天むすのうまさには感激。エビがぷりっとしていて、薄い衣には(たぶん)ペッパーの味が効いていて、目からウロコだった。新大阪駅に行ったらオススメです。既に有名?

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2005年6月 3日 (金)

ナカシマを語る人々

前回に続き、ジョージ・ナカシマ特集の話。

3月末に依頼を受け、入稿したのは5月の連休明けだった。ナカシマ取材が楽しかった理由、それは、生前のナカシマについて語ってくれる証言者の方々にお会いできたことだ。ナカシマは1990年に85歳でこの世を去っている。だから、記事にするには、彼の著書、彼に関する文献・資料を参考にしたり、ナカシマと交流のあった人達の証言を聞く、という作業が必要だった。幸い、亡くなってまだ十数年なので、ご家族はもちろん、日本での知り合いの方々がご存命だった。

ナカシマの長女ミラさん、長男ケビンさん、そして、ナカシマのライセンス家具を製作している四国・高松の桜製作所の会長、永見眞一さんと息子の宏介さん、小田急ハルクで行なわれたナカシマ展の仕掛け人の一人であるデザイナーの西澤さん・・・・・・みんなとても素敵な人たちばかりで、それぞれ自分の愛するナカシマについて、熱く語ってくれた。彼らの話を通して、私の中のナカシマに対する興味がさらに深まった。とくに、来日中のミラさんとは、高松まで行く飛行機の中からあれこれを話を聞き、桜製作所での撮影が終わるまで、ほぼ1日ずっとそばで話を聞くことができた。

ページが限られているので記事には書けなかったが、ミラさんから聞いた、木匠ナカシマの父親としての一面は、とても印象的だった。ちょっとだけ書くと、ナカシマの得意料理はインドカレーとチャーシューとすき焼きだったんだって。サンダーバードやRX-7にも乗っていたとか。それから、94歳の今も現役でインテリアデザイナーとして活躍する渡辺力さんにもお会いして、ナカシマとの思い出を語っていただいた。「○○専」と呼ばれる私としては、この力さんと永見会長、お二人の、元気でやさしいおじいちゃんの笑顔に会えたのも、今回の仕事の大きな収穫だった。

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2005年6月 2日 (木)

ジョージ・ナカシマのこと

6月1日発売の雑誌『pen』で、ジョージ・ナカシマに関する記事を書いた。ジョージ・ナカシマは今から100年前に生まれた日系二世の家具デザイナーだ。仕事の依頼を受けたのは、たしか3月末。それまで、ナカシマについては、個人的には「コノイドチェア」という木の椅子をデザインした人、という認識しかなかったが、資料を読み、取材を進めていくうちに、彼の不思議な生き方にどんどん興味がわいてくる自分がいて、久々に楽しい仕事だった。ナカシマは、デザイナーというよりも「木匠」と呼ばれることに生涯こだわり続けた人物。木を丹念に選び、それにもっともふさわしいデザインを考えることで、その木に第二の人生を与えるという生き方を貫き通した人だった。その濃密な人生は、とてもここには書ききれないけれど。とにかく、大変ながらも楽しい取材だった。その概要についてはまた後日書きます。

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